L’ hirondelle つばめ
先日、四歳になる甥と雨上がりの芝生を散歩していたところ、百数十羽と思われるツバメ(※1)に取り囲まれました。その時の心理状況をおおざっぱに文字で表してみますと
ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ ツバメ・ツバメ・ツバメ・甥と私・ツバメ・ツバメ・ツバメ ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ・ツバメ
こうです。でもね。 実はこんな表記の遊び、書いててもう飽き飽きなんです。食べ過ぎたビーフシチューをさらに無理矢理食べている感じ。ほとんど味が感じられない。 ただね。 もしかしたらゆうべつくったビーフシチューとは、味が違うかもしれない、あ、これはうまい、って瞬間がまだあるのではないかと、確かめたくなってしまうんです。みなさんにもそんなビーフシチューはありませんか。
先週、こちらの欄で「掛詞は親父ギャグ」という発言をしたら、私も句集を持っている俳人の中岡毅雄さんから、福島泰樹さんの地口(※2)を用いた歌を紹介していただきました。
ひとりする誤算ふたりでする午餐あわれなりけり冬の陽落ちよ ゲバ……死すをゲバラは死なず浴槽の鏡の中の男のあばら (ともに福島泰樹)
加藤治郎さんの『短歌レトリック入門』の「掛詞」の項にも、jojoという人名と抒情という言葉を掛けた福島泰樹さんの短歌が紹介されています。
あじさいに降る六月の雨暗くジョジョーよ後はお前が歌え (福島泰樹)
お二人の解説から、福島泰樹さんが、「レトリシャン中のレトリシャン」※3で、掛詞や地口といった修辞あるいは言葉遊びをつかっても「やっぱりオヤジギャグじゃない」※4短歌を詠む稀有な歌人ということを、ある程度実感できました。そしてこういう際どく鋭い掛詞だって、食傷気味な言葉遊びの試行錯誤から、ある日生まれるのかもしれないですね。あ、これはうまいって瞬間が。
※後記 ところで、福島さんの歌には、ある世代固有の抒情が勝っていて、それも大きく歌を支えていると思うのです。そして、その抒情を共有できない世代にとっては、これらの地口・掛詞も限りなく親父ギャグに近づくのではないかという留保を、個人的にはつけたいと思います。 何が言いたかったかというと、ゲバ棒なんか見たこともなく、いきなり「大学時代は棒を振り回していた」と言われて、バトントワリングチームに入っていたのかと勘違いする私より下の世代が、岸上大作、福島泰樹、初期の道浦母都子の歌に共感できるのは、先達の「世代固有の抒情」というものを学んだ後のことでしょう。短歌の抒情は学ぶもの。不謹慎な言い方ですが。
※注1 これもツバメ↓ http://10.pro.tok2.com/~pavillion/carp2/masukoto/in-tuba.htm ※注2 簡単にいうと韻をふんだ言葉のもじり ※注3 加藤治郎さんの『短歌レトリック入門』から引用 ※注4 中岡毅雄さんのメッセージの中から引用
+25 Easy Etudes, N゜24
「目の悦楽」、「耳の愉楽」、「レトリック」、「抒情」。これら4つの言葉を必ず使って、短歌とは何かを語りなさい。
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