短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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斉藤倫

 
#2006.03.05 Sunday(マスダシズカさんのウェブ日記より)

 『短歌ヴァーサス』WEBの斉藤倫さんのコラムがおもしろい。2月28日の回を読んでいたら思いだしたことがあって、寝ているときに見る夢の話と似ていると思った。わたしに限定した話だけど、わたしの夢に登場する人たちはみんな顔が似ている。それはたとえば松本零士の描く女性がみんなメーテルに見えてしまうように、水木しげるの描くサラリーマンがみんな次長課長の河本に見えてしまうように、夢の登場人物たちは、わたしのイメージのクセから逃れられずに似た顔をしてしまっている。それで夢を見ると、また同じ人がでてきた、と思うのだけど、どうもそうではないらしく、夢のなかで描きわけできていないのだ。コラムを読んで、印象に残らないことで印象に残ってしまう人たちの顔立ちのことを思った。

 でもかならず登場するニーチェとか、永劫回帰のことは、よくわからない。感想も書けない。永劫とか永遠とか時間の流れとかいわれると、高級な料理をすすめられたようにうろたえてしまう。果てしないロマンの匂いがして、わたしの問題ではないような、ガラではないような気持ちになる。

 果てしないロマンといったら安藤美姫の四回転を思いだした。失敗を誰もが予想するのに挑戦するしかなかったトリノオリンピックでの四回転。本人もわかっているはず。もうできないということ。自分の体格が、年齢を重ねるほど、四回転には向かなくなっていくこと。時間を逆行しないかぎり、四回転に成功することはありえない。にもかかわらず挑戦させられてしまうのは、そこにロマンが潜んでいるせい。ころんだっていい、失敗したっていい、挑戦することに意義がある、と思うのはロマンによる本末転倒というものだ。宿命を背負うのは不幸だなと思う。でも宿命だと思いこんでいる本人はあんがい幸せかもしれないなとも思う。なんの話だったか。斉藤倫さんのコラムがおもしろい、という話だ。

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