短歌ヴァーサス 風媒社
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★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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佐藤りえ

 
さくらの後姿

 卒業シーズンなのでふと学校のことなど思う。小学校の入学式で貰った一輪のチューリップのこと。全校生徒は100名ちょっと、同級生は20名弱の小さな学校には体育館もプールもなかった。学芸会や全校集会は二階の「集会室」という広めの部屋ですし詰めで行われた。校舎で着替え、坂を下ったあたりにある「防火水槽」で水泳をした。二階建ての木造校舎はいいかげん老朽化が進み、階段には抜けて修繕された箇所があった。トイレは汲み取り式で、おおきなほうは家で済ませてきましょう、と言ったとか言わないとか、生徒のあいだで噂になった。それぐらい古い建物だった。
 その小学校は翌年廃校し、二年からはバスで二十分ほどの新設校に通った。同じような小さな学校が四つ集まってできた学校で、一番遠い同士の生徒は家を行き来するのが不可能なほどに校区が広かった。きゅうに見知らぬ同級生がたくさんできたが、そこでどんな混乱が生じたのかはよく憶えていない。転校とは違い大勢の知らない同士が集まったので、案外すんなりいったのかもしれない。真新しい校舎はまだ工事中で、図書館やプールはずいぶん後に完成したように記憶している。広いグラウンドに感激したような気もする。それまでは野球のボールがすぐに薮にまぎれてしまったから。
 高校には三年間、自転車で通った。勉学に対してはまったく熱心でない生徒だった。教室より部室に滞在した時間の方が長かったに違いない。美術部に所属し、なんだかんだと絵を描いて過ごした。部室で闇鍋をしたことが事務室にばれて、ガスの供給を止められてしまった。あれは残念だった。ところで、鍋にバナナは最悪です。経験者が語るんだから間違いないです。
 学校のシステムやそこでおこる出来事の多くにはなじめなかったけれど、学校という空間は好きだった。用もないのに、放課後をいつまでも居座るタイプだったかもしれないと思う。あれだけたくさんの同じ年頃の人間と、いっぺんに関わり合う機会はその後そうそうない。数百人の18歳と今聞けば、のけぞってしまう。そんなすさまじいエネルギーのうずまく場所を今年も去り行くひとがいるんだなあとぼんやり考える。

 咲きたくて咲く花のみにあらざらん歩みつつ見るさくらの後姿(うしろ)
                大松達知『スクールナイト』
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