短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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佐藤りえ

 
ごはんについて

 十年ほど前、当時の音楽界を席巻していたプロデューサーのエッセイに、とても印象深いエピソードがあった。一分一秒が惜しく忙しい彼は食事をほとんど必要とせず、日に一度摂るのは野菜のサンドイッチ。毎日同じものが続いても構わない。肉も魚もほとんど食べられない。でもそれで充分だし、食べなくても生きて行けたらいいのに、と思うこともあるほどだ、という。驚くと同時に、それはどこか頷ける話でもあった。植物的な印象を与えるその人物が、脂ののったTボーンステーキが好きだとしたら、そっちのほうがよほど意外だ。
 茂吉の鰻好きや中也の食事、内田百けんの日記は戦時中でも食べ物のことばかりだったり、文士の食事に関するエピソードも興味がつきないものばかりである。少し気になったのは、こうした閑話はどれも食に対して肯定的というか、じつに積極的・攻撃的なこと、である。冒頭の「日に一度のサンドイッチ」と、それは対極的な印象をもたらす。そのことに、私は少しの焦りをおぼえる。
 会社勤めをしていた頃は昼食の時間は決められていたし、食事はエネルギー源だった。摂らなければ力尽きてしまう。何を食べるか、選択の余地も時間も限られている。ぱっと選んでぱっと食べていた。それが、会社員でなくなった途端、昼に何を食べたらいいのか、よくわからなくなってしまった。
 いい機会と思ってダイエットがてら昼を抜いてみると、変な時間に異様にお腹が減る。何を食べようか考えているうちに、窓の外の光は午後の翳りを帯び、ランチタイムが終わってしまったりした。おまけに私はものすごい偏食で、食べられないものが数えきれないほどある。だんだん自分の食に対する意欲のなさに不安を感じ始めた。生命欲と食欲は連動している、とは誰が言った言葉だったか?なにを食べたらいいのかわからないなんて、大丈夫か自分、と一時期本気で悩みかけた。
 しかしだんだん気づき始めた。私は「ほんとうに食べたいもの」だけを食べたいと、無意識に自分に要求していたのかもしれない、とふと思い至ったのだ。あの、勤めの最中にできなかった「好きなだけ悩んで好きなものを食べる」ことを今になって果たしているのではないか。そうだとしたら、なんて意地きたないのか。意欲がないのじゃなくてありすぎだ。
 今ではさっさと食事を摂り、悩んでいた時間を仕事や家事に割り振るように心がけている。が、まだよくわからない。どんな食べ物も「食べて〜」と語りかけてこない瞬間はまだ自分の内にあるような気がする。鰻の大きさで本気で怒ったという茂吉はそのへんどんなふうに考えていたのだろうか。聞けるものなら聞いてみたい。
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