小海線
小海線はベテルギウスに着きますか (須藤徹)
だって銀河鉄道じゃないんですから、と困惑した表情で駅員は答えるのだろうか。小淵沢、清里、佐久平、小諸、等々、乗ったこともないのに知っている駅名を並べていると、視界に星空が広がってゆき、着かなくてもかなり近くまでは行けそうな気がしはじめる。他にもオリオン座方面に向かってくれそうな線はあるかも知れないけれど、とりあえず小海線は何となくベテルギウスに着きそうだ。想像力を現実のなかに組みこんだこの一句は、技法よりも説得力に支えられている。 こうした会話体は、川柳が得意とするものだと思われる。はっきり言えば、俳句として佳句が成立する確率は低いのではないか。ただ、比較すれば川柳より時空の一点を示すことに重きを置く俳句にあっては、成立すれば、映像作品のフラグメント的効果は高くなるようだ。川端茅舎の「約束の寒の土筆を煮て下さい」も、俳句的技法は表面化していないにせよ、きわめて俳句的な時空の切り取りが行われている典型で、小海線の句も、その系列にあると言っていいだろう。
弥栄の天網を刺せ秋の傘 秋天の端より垂れる給油管 ところてん太平洋に押し出せり ドロップ缶振れば鳴き出す蜩よ
引用はいずれも須藤徹の第三句集『荒野抄』(鳥影社)から。俳句の限界を見きわめるかのように、現実と幻影、現在と時間の外、とが交錯する句が多い。好みで引かせてもらった句は、須藤徹の句としてはおとなしい部類に入るものばかりかも知れない。 |