短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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佐藤りえ

 
信じるにも程がある

 自分に信心などというたぐいのものがほとんどないことは十分承知している。
 にもかかわらず、通りがかれば立ち寄りたくなるのが寺社仏閣である。お参りをしてお神籤を引かずにはいられないのだ。
 もとより、籤と名のつくものが好きだった。駄菓子屋のひも引きやホームランアイス、「当たり」つきの菓子にも夢中だった。金品を得ることより「当たり」を掴むのが主な目的なので、宝くじにはまることはなかった(年末ジャンボは稀に気まぐれを起こして買うけれど、財を成したことはない)。やっぱり一番好きなのはお神籤である。いいかわるいか、それがすべてで、後にも先にも何も付随しない。そこがいい。そんなに何度もひいたら罰が当たるとか意味がないという意見には耳を貸さない。運は流動的なものだ。トライすることに意味があり、価値がある(と、勝手に思っている)。
 厄年だったせいか日頃の行いが悪かったのか、2005年度のお神籤は惨憺たる結果に終わった。よくて「小吉」ほとんどが「凶」の結果に目もつりあがり、ご神木に結びつける手指も震えた(厄を落とすには片手で、という伝承を頑なに信じている)。新年、風邪に倒れながらもひいた浅草寺の筮竹は百八番、「吉」だった。やたらいましめっぽいことが書かれていて、これも頑張って結んできた。一緒にひいた相方が「中吉」だったりすると、よかったねなどと言いながらついつい結び目がきつくなった。嫉妬ってこういうことかと新年早々思い返す羽目になった。
 そんな日々が続いていたのを(いつものように)忘れて、二月に入ってからの好日、とある神社に詣でた。参道を鳩が無秩序に行き交い、鳩を狙うでもない猫がいっぴきうろつき、近所の中学校の陸上部の生徒がトレーニングを開始しようと集まり、イーゼルをたてた青年が友人と談笑する、そんな境内で、手水でお清めを済ませ、二礼二拍手一拝一礼、打ち出の小槌型の容器を振り下ろし、四番のお神籤をいただいた。「大吉」。ひさびさに見る文字にこころが踊った。人間は(というより自分は)容易く浮上するものだな、と思った。
 今日、行きがけの商店街で地蔵尊を詣でて、なんだか尊大な坊様からお神籤をいただいた。五拾三番、「大吉」。幸運をたくさん積んだ宝船がくる、と書いてある。人間は(というより自分は)過ぎた幸せには二の足を踏むものだな、と思った。
 どちらのお神籤も大事に財布にしまいこんだ。なんとなく、明日からは早起きをしようと思った。深い意味はない。
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