犬
天国はどこでもないと言い渡す陽のなかに寝るビーグル犬に (江戸雪)
天国はどこにもない、ではなく、天国はここではない、でもない。天国はどこでもない、なのだ。どうしても見つからなかったり遥かな場所にあったりする方がまだましというものだろう。不在がもたらす悲痛には希望の入る隙間くらいはある。非在には絶望するしかない。しかも言い渡している相手はビーグル犬である。犬は人の話を選ばずに聞いてくれるけれど、つまりそれは、この世の誰とも語りあえない話であるのと同義だ。うららかな陽射しが、絶望をいっそう深く感じさせる。 ここまで短歌的なテクニックを放り出してもなお成立する佳品というのは稀である。視覚的なリアリティも求めていないし、修辞的なリアリティも求めていない。私をきわだたせるとか、世界を俯瞰するとか、そういう作為も見えない。行為としてのビーグル犬との対話を、ぶっきらぼうに提示しているだけなのだ。救いのない対話である。が、救いのなさをそのまま曝け出しているところに、それを語る人の強さがかすかに浮かぶ。江戸雪のことばは、ベストに近い状態なのかも知れない。
黒蟻はわれの影より這い出してその後しずかなりわれの影 大根をざくざくと切る厨とは夕空のいきどまりのような 妄想のなかでわたしを抱くことゆるしてあげるただ寒いから 選ばないことを責められ云ってしまうどの空も見たことがあるのよ
すべて第三歌集『Door』(砂子屋書房)からの引用である。リアリティを求めてことばが歪んでゆくタイプの作者だという印象がいつの間にか消えている。このまま臨界を越えると危険な気もするが、少なくともいまは、一つのピークを維持していると思われる。
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