短歌ヴァーサス 風媒社
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★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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三宅やよい

 
会議室の窓の端に

 飛行船が浮かんでいた。最初見たときは目の錯覚かと思ったけど、それから何度か新宿のビルの上をゆっくり流れてゆく銀色の胴体を目撃した。アドバルーンとかなくなった空の広告塔なのか見慣れたビールのロゴが遠目にもはっきり浮き出てみえた。
 むかし低空飛行するセスナ機から広告がばら撒かれた記憶があるのだけど、あれはいつまでやっていたんだろう。三歳ぐらいだったか庭で兄弟と遊んでいたとき空からいっぱい紙が降ってきた。兄や姉達は庭に落ちてきた紙をかきあつめて口々に叫びながら母屋に帰ってしまった。小さかった私はブランコから降りることもできずに大声で泣いて、家から出てきた母に抱えられた記憶がある。誰もいないしんとした庭に幾枚かの白い紙と置き去りにされた心細さが記憶を刻みつけるきっかけになったのか。
 もうほとんど夢と区別のつかないあの光景を兄弟に確かめたこともない。聞いてみたところで誰も覚えていないだろう。
 働いているビルは高層ビル上階なので、空気の澄んだ日は筑波や秩父らしき稜線が茄子色にぼんやり見える。銀色の飛行船はビルよりだいぶ上に浮かんでいたけど、その昔セスナが旋回していた高度はいま私が仕事しているあたりかもしれない。
 上の兄は北海道で地図の航空写真を撮る仕事をしている。父の49日に遺骨の一部を散骨するため兄の操縦するプロペラ機で和歌山沖に飛んだ。戦争当時、海軍航空隊の秘密基地にいた父は生涯の最後まで沖縄へ見送った戦友達を忘れなかった。あの日広告が撒かれたであろう同じ作りの小窓から太平洋に父の骨を撒いた。
 帰途上空を旋回した神戸の街は見知らぬ建物に覆いつくされ、今はない実家の庭はもちろん見えなかった。

  そのむかし船長でした鰯雲   やよい
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