短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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若原光彦

 
日本語のものまね

「生涯学習」って、何だか怖い言葉だと思いませんか。若原光彦です。

   *

 小学生の時、私は教師からこんなふうに教わりました。『かぎカッコの中では、折り返した次の行頭に1マス空白を置け』。こういうことです──

【現在の多くの散文の記述】
「アンタがたその程度で江戸っ子
を名乗られちゃあ、江戸っ子の格
がさがるってモンだ」

【私が教わった記述】
「アンタがたその程度で江戸っ子
 を名乗られちゃあ、江戸っ子の
 格がさがるってモンだ」

──後者の方が読みやすい。でも、現在の多くの書籍はこんな記述をしていない。あの教師の教えたことは嘘だったのか? 小学校低学年むけに、非標準だけど読みやすい記述を教えたのか? 一時期、文部省がこの記述を推奨してたのか? 私の記憶違いか?
 私は今でも、詩文ではこの記述を使っています。読みやすいし、しっくりくる。でも間違ってるのかなあ。正しい記述って何だろう。
 よくよく考えると日本語散文の規則はかなり曖昧です。例えば『カッコと関わる句読点の打ち方』──

【現代の一般的な記述】
「我輩は大熊猫である」と言った(と思う)。

【昔の本の記述】
「吾輩は大熊猫である。」と言った。(と思う。)

──私は後者の几帳面さを心地よいと感じるのですが、現代では一般的でないようです。読みやすさでは前者が勝ちますし。

   *

 私はよく『主人公のセリフを二重かぎカッコ(『』)にする』という非標準的な記述をしています。これは昔のゲームによくあった記述で、機能的なので日記に使うようになり、それが今まで癖で続いているものです。私は標準を気にしつつ、機能的だと思えば勝手も通しています。
 とりあえずブログや掲示板では「標準的と思われる記述」を心がけていますが……私の標準は本当に標準なのかどうか。『ええい、文章なんて伝わればそれでいいんだ!』とも言えず、私は日本語らしきものを見よう見まねで書いているにすぎないのでしょう。私はネイティブの日本人でありながら、正しい日本語とやらを知らず、手本を持っていない。言語なんて、そんなものなのかもしれません。
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