短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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斉藤斎藤

 
加藤新助2

 バイトは電話の受付だ。お客様センターにはよく、「社長を出せ」という電話がかかってくる。もちろん断るわけだが、たまには社長が出てみるのも悪くないと思う。実際社長に出られたら、おそらくしどろもどろになってお客様言いたいことの百分の一も言えないんじゃなかろうか。彼らになにか言いたいことがあるとして。
 ヨブ記の結末をひと言で言えば、実際に社長出てきてヨブびっくり。基本的には出オチである。ただしい行いをしているのにどうしてこんなひどい目に遭うのかというヨブのクレームに、神は答えて言う。要するに、

 「私が神だ。そして世界はすばらしい。」

 答えになってない。ヨブは納得する。そもそもヨブの信仰に理由はいらず、なんだかはかりしれないから神様をただ単に信仰してたのだから、神様が出てきてヨブに見向きもしないだけでそれがヨブには有難くて有難くて。

 サキサキとセロリ噛んでてあどけない君を愛するあどけないから

 ここで思い出すのが加藤新助という人のこと。ヨブの有難くてに理由はないが、神様が出てくるまでの展開に必然がある。ヨブは数々の不幸に襲われ、神の現われをクライマックスに必要としていた。有り難がる準備はできていた。ところが加藤の場合、まあそこそこ幸せでふつうに寺にお参りに行ったら、そこに如来がいたのである。合計四度も。二度あることは三度ある。仏の顔も三度まで。如来が四度あらわれる。もはや有難くもないわけだが、そんな如来をさらりと額に描いて奉納してのけた加藤の信仰は、ヨブのそれよりすげえと思う。加藤新助。覚えた。
 そして如来。如来には、額に描かれ奉納されても油断するなと言っておきたい。現われろ。五度六度と言わず、加藤が寺に来るまでもなく毎秒ごとに現われてゆけ。おそらく加藤ならば、理由もなく有難みもない、そんな過酷な状況下でも如来を信じつづけると思う。加藤ならやってのける。私は期待している。その期待が加藤にとって、過度のプレッシャーとならないことを祈るばかりだ。ほどほどの緊張ならよいのだけれど、それが過度のプレッシャーになると筋肉がこわばって、実力がふだんの半分も発揮できないことがある。
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