短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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若原光彦

 
定型の魔

 ぷるっとしたって若原光彦です。もちろんぽよっとしても。

 先日、数ヶ月ぶりに短歌を書きました。同じ題名で詩を書き得票を競う『即興ゴルコンダ』という掲示板があるのですが、ふらっと覗いたその日はお題が「驟雨」でした。
 『驟雨か。それなら書けるかも』
 さっそくカチカチ打ち始め、自由詩ができましたがこれがイマイチ。しばし思案し、ふとフレーズが浮かんだので書き留めると今度は音数が五・七。短歌が出来てしまった。
 『そうだ、短歌の連作にしちゃおうか』
 そんなわけで、数ヶ月ぶりに歌作に挑みました。

 驟雨というお題が肌に合ったのか、情景はつぎつぎ浮かびました。「雨降りは交通事故が増えるから注意してね」「夕立の後に虹が出るか賭けようか」「濡れた電柱ってますます灰色ねぇ」など。
 作業は楽しく快調に進んでいきましたが、いくつも書いていてふと気付きました。凡庸でつまらない歌だと感じても、五七五七七になってさえいれば『これはこれで素朴で良くない?』と合格にしてしまっている。初めは冴えてたのに、どんどん判断が鈍っていってる。ひねりが効かなくなって垂れ流しになってる。だめだー。

 戦後自由詩の方向性のひとつに「戦中のような『本能に訴えかけて人間を裏側から操る表現』を避ける」ことがあったと聞きます。定型詩に走っていた自分には長年ピンと来なかった話なのですが、久しぶりに短歌を書いてみて思い知らされました。『定型には魔力がある。これに頼るとなし崩しだ』。
 じつは私が短歌から離れた理由のひとつがそれでした。ふと『標語だって何だって、五七五七七であれば立派に見えちゃうなあ。なんて低レベルな表現だろう』と思ったら書けなくなったんです(『その思考こそ低レベルだ』と今なら言えますけど)。

 自分は「短歌のようにあらかじめリズムが決められている形式では甘えがち」で「定型詩や朗読作のように自分でリズムを探す形式だと頑張れる」ようです。リズムに乗せられやすく、埋没・シンクロしやすい。リズムに敏感でリズムが好きで、かつそれから一定に逃れていなくちゃならない。だから私は短歌や散文よりも詩を選んだのかもしれません。
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