野沢菜を言われたとおり買ってくる
「バスがトラックに追突されませんように」 「うん」 「ホテルが火事になったら腰をかがめて避難するように」 「うん」 「土産は野沢菜でかまわないけど、無事に帰ってくるのがなによりのお土産だから」 「伏線?」 「いや、そういうんじゃなくて」 「ああ」 「ふつうに」 ふつうに無事帰ってきました。 長野では3,990円のホテルに泊まって、ユニットバスにがっつりお湯を溜めて湯舟にわたしを沈め便座のむこうまで存分にあふれさせた。ペイテレビは1,000円で、昨夜は熟女スペシャルだった。わたしは熟女好きではないし1,000円かよ。と思った。中年女性のセックスを見ると、心がやさしくなりますよね。 わたしは生きている。上記のようなやりとりのあと、ホテルで焼け死んだひともいただろう。伏線をすべて回収するほど世界は甘くはない。というより、上記のようなやりとりのあとわたしが万が一焼け死んでも、上記のやりとりは焼死とは何ら関係がない。焼死の原因は、もとをたどればホテルの火事にある。火事の原因は配電盤のショートなのであり、心配性の脳内彼女との会話ではない。短歌とは、張りっぱなしの伏線のようなものだ。 才能とは火事のようなものだ。と言ったのは誰だったか。(この項、つづく)
|