短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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佐藤りえ

 
青空天井

 ショッピングモール、ショッピングセンターの通路の天井に、青空が描かれていたり、青空の写真がはりめぐらされていることがある。それを見るといつも目眩に似た感覚におそわれる。天井部分を照らすためのライトがあったりすると、さらにもう、いけない。「青空が照明で照らされている」光景というのを、脳のどこかが頑強に拒むのである。
 こうした演出(?)は居並ぶ店を街路に見立てて開放的な雰囲気を…とか、殺風景な天井部分を効果的に利用して…とか、天井が低い、狭いことをカバーするため…など、なんらかの理由なり必然があって行われているのだろう。その舞台装置に酔えないのは、私がよそ見ばかりしているからなのか、買い物に思ったより熱中していないからなのか。
 青空に限らず、例えばビル建設現場の囲いにあおあおとした木立の写真がプリントされていたり、エレベーターの内側に蓄光塗料で星座が描かれていたりすることもあるが、違和感はくだんの青空に比べるべくもない。この違いは、「そんなものまで作っちゃうんですか?」という戸惑いでもある。子供の絵のような戯画的な雲がふんわり浮いているのなら、まだなにか流してしまえるのかもしれない。その「青空」はまた、結構よくできているのだ。はじめて見たときなど外が曇っていたので「晴れたのかな?」と勘違いしたし、うっすらプリントされた雲が動いているのかとさえ思った。
 ショッピングモールなら、商品が安かったり魅力的なだけではもはや戦略にはならないのかもしれない。イメージは確かに大切である。地下鉄駅の壁に蔦のからまる塀がプリントされているところもある。殺風景だからかもしれない。しかし近代的設備、近代的建築物を必要に応じて供給して享受している我々が、偽自然をそこに補完して和むというのは嘘くさくはないだろうか。屋根を閉ざしたのは他ならぬ自分たちで、地下に穴を掘って電車を走らせたのも自分たちなんである。地下で、建物の中で、空も森も見えないのは当然じゃないですか。森は森にあるし、空は空にしかないのだから。
 青空天井のなかでどこへも行けなくなってしまったうす雲に、心から哀悼の意を表す。
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