短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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若原光彦

 
詩の未来(前編)

 約四年前、初めてネット上の詩の界隈を見て驚いた。詩の世界というのはもっと堅苦しく、さまざまな流派が互いに背を向けている世界だと思っていた。しかしネットは図書館や詩誌とは比較にならないほど壁のない世界だった。
 サイトにもよるが、投稿掲示板では散文詩も視覚詩も呟きもメッセージも、繊細なものも荒々しいものも同列に肩を並べていた。全く異なる作風の作者達がすんなり同居している。時には「これは詩か?」と悩むようなものも平然とあった。画詩(詩文とデザインをミックスした詩作品)を競うコンペも開かれたし、HTMLやJavaScriptを駆使した表現(WEB詩と言われていた)に挑戦する人も出始めていた。
 ネットの詩は空前絶後に“何でもあり”の世界だった。それぞれの嗜好や方向性は全く違う、なのに“詩”というだけでフィールドを共有し互いを尊重できている。それは「ネット上の作者の中心が若者で、比較的柔軟だったから」「詩がメジャーでないため、作者同士に結束が生まれたから」かもしれないが「詩そのものが自由で、多様性を認め許す力があったから」だと思う。

 四年が経ち、いろいろな人や作品が過ぎ去った。投稿サイトや企画サイトは減少し、残った幾つかの大規模サイトが定番化した。現在はオンライン/オフライン詩誌が散発しつつあるようだ。また、ブログでポエムをよく目にするようにもなった。

 私の視点や活動も変化したが、今でも私は四年前と同じことを感じている。
 朗読表現では「音声化の適正から作風や表現がある程度限定される」と思われがちだがそれは技術的な話でしかない。実際の会は様々な表現が試みられる“何でもあり”の世界だ。いきなり舞いだす人もいれば、アナウンサーのように堅実に読む人もいる。どんなに作風や方向性が違っても誰にも否定されない。朗読の場はネットと強くリンクしており、ムードを同じくしている。
 ネット上の詩作者達の雑多さ・寛容さを、私は肯定的に受け止めている。それぞれが自分の創作を追求しつつ、全体としては詩の世界を狭めることがない。ネットに詩の未来を育み担う土壌があることに、私はとても感謝している。
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