短歌ヴァーサス 風媒社
カレンダー 執筆者 リンク 各号の紹介 歌集案内

★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
← 2005.8.17
2005.8.18
 
2005.8.19 →


Sin

 
ろなうじーにょ

 先週、ラジオ番組へ出演した話を書いた。
 その中の質問、「川柳と俳句の違いは?」について考えてみる。

 僕はサッカーが大好きだ。日本代表戦の試合中は、僕に話しかけてはいけないという家族内のルールまであるくらいだ。この原稿がアップされる頃には、日本 vs イラン戦が終っている頃だろう。東アジア選手権を見る限り・・・ってサッカーコラムを書いてどーする。

 坪内稔典の俳句を見た瞬間、私は「ロナウジーニョだ」と思った。
 僕は、俳句作品を読む時に、「季語」という縛りがあるせいか、とても窮屈に感じながら読むことが多い。僕にとってそれは、サッカーを観ている感覚に近い。
 だが、ロナウジーニョ(ブラジル代表)は違う。手が使えないという窮屈さを感じさせない。「をを!足だけであんなことが出来るのか」という驚き。ボールがロナウジーニョに渡ったときのワクワク感は、もう本当にたまらない。
 読者にとって、俳句はそのワクワク感が魅力のひとつだろう。少なくとも僕にとってはそうである。
 無季語俳句も、もちろん否定はしないが、一読者としてあまりドキドキしない。
 ある日、「今日からサッカーは手を使ってもいいことにします!」とFIFA会長が高らかに宣言したとしたら、私はサッカーを観なくなるだろう。
 しかも、スポーツ番組で「前半32分、柳沢のダイビング左手で先制した日本は、続く42分、三都主がペナルティエリアで倒され、PK。これを、中村俊輔が慎重に右手で決めて前半を2−0で折り返します」といった試合結果が流れてくると思うと「@ー!%#&”%」である。

 この事を、そのラジオ番組で言おうと思ったのだが、「じゃぁ、俳句がサッカーだとしたら、川柳は何ですか?」と聞かれたら答えられないので、やめた(笑)
← 2005.8.17
2005.8.18
 
2005.8.19 →