暑中見舞い閑話
7月の半ば過ぎ、今年も暑中見舞いを…と思いたち、プリンターから打ち出したはがきの文面は既に「残暑お見舞い申し上げます」だった。「暑中見舞い」は原則として7月いっぱいに届くものであり、自分の筆致では到底それに間に合わないことを、何度も身をもって経験してきた。今からなら、残暑ならいけるだろうという甘い判断である。 電子メールが主たる通信手段になっても、年賀状やお礼状や依頼状など、手書きの手紙を送る機会は少なくない。その中でも暑中見舞いというのは最も書きがたく、しかしなんだか雰囲気に押されて書きたくなるものである。市販されている暑中見舞いの涼やかな絵柄や写真にまず惹かれる。花火・かき氷・蚊取り線香・朝顔など、シンボリックな夏のイメージが、また見るからに涼しさを運んでいきそうで、いいわーと思う。しかしながらなぜ書きがたいのか。それは、かなりあっさりと、文面に詰まってしまうからである。 暑中見舞いで曰く言いたいことは「暑いですねー」であり、それはでかでかと印字された(あるいは書いた)「暑中お見舞い申し上げます」に含まれている。その先に書くことが思いつかない。具体的な用件や、近況報告などがあれば問題ないが、そうでもない場合は冒頭の一、二行を書いたところで、筆が止まる。気分を伝えたいだけだったから、その後が続かない。 寒中見舞いや年賀状も同じようなところがある。「今年もよろしく」「よい年を」がテンプレートな文句だが、幸い(?)冬は寒くて、雪が降る。寒さや降雪というのは、手書きの文面にとてもなじみのいい話題なのだと思う。霜がおりて、つららが、吹雪が、という文面は書くのも貰うのもなんとなく楽しい。寒さは文章で共感しやすく、暑さは共感しづらいということなのだろうか。 近ごろはそうした悩みを軽減させるテクニックをいくつか身につけた。 ●字を大きく、簡潔に。 ●全面絵柄や写真の葉書を使う。 短距離走にロケットシューズを使う、みたいな気がしなくもないが、とにかく、この夏の間にもう少しお見舞い申し上げてみたい。
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