8月31日
数年前『8月31日』というノベルゲームを考案したことがありました。主人公はある小学生。夏休み最後の朝、目覚めたところから物語は始まります。そこで最初の選択肢が出てきます。たとえばこんな。
A:「夏休みも今日で最後かあ」 B:「宿題どうしようかな……」 C:「気持ちのいい朝だな」 D:「まだ眠い……」 E:「えっと……ここは?」
スタート時、主人公の設定は「小学生」以外明かされていません。ルートによって主人公が男か女か、どこにいるのか、宿題は済ませてあるのか、友達は誰か、兄弟はいるのかなどがわかってきます。たとえば上記のEを選んだ場合
A:「そうだ、あたし誘拐されたんだ」 B:「俺、おばあちゃんち来てたんだっけ」
などと展開するかもしれません。 物語は9月1日まで続きます。そして9月1日が終わると、十数年後が描かれます。宿題をすっぽかした子はどんな進路に進んだか? 宿題を最初の一週間で終わらせていた子はどんな職に就いたか? 誘拐された子のその後は? 最後の日に虫取りをした子とゲームをした子では将来はどう違っているか? 小学生同士のカップルは結ばれたか?
起案当時、私は『人間の人生はどこで変わるのか?』ということを考えていました。『例えば、8月31日をどう過ごすべきか?』。将来性の縮図として、小学生の8月31日を使ったら面白いと考えた訳です。 このゲームは皮肉と懐古に満ちたあまりに“あざとい”ものです。また上記だけでは「夏休み末日シミュレーター」になってしまいエンターテイメントにならないので、主人公たちの行動をピースに「なぜ彼らが主人公なのか、なぜこの一日で人生が決まるのか、このゲームはいったい何なのか」が解明する謎解き要素を入れなければなりません。そう考えるともう自分の手には負えない。以来このゲームは放置されたままです。
8月31日とは何か。どう過ごすべきなのか。その日はいつから始まっていたのか。これまでの8月31日、人々は何を感じどう過ごしてきたのか。全ての8月31日を結ぶものとは何か。このゲームのことが片隅にある限り、8月31日は私にとって特別な日であり続けるでしょう。 |