短歌ヴァーサス 風媒社
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★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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佐藤りえ

 
つかむ

 最近、箸を新調した。おもてなし用の揃えではなく、普段使いのものである。材質は杉朴檜桜から竹まで、漆塗り仕上げやら手彫りやら、「細長くて二本」である以外にも多様な中から、特になんということもないぬり箸を選んだ。今までのものが折れたとか欠けたというわけではないのだけれど、すとん、と買い替えてしまった。
 高校の頃、国際交流で町に滞在していたアメリカ人の女性が、週に何度か英語を教えに学校に来ることがあった。サラという三十前後のその人は陽気で、大柄なひとだった。放課後の美術室に現れたサラは、教室の片隅にあった陶芸用のろくろをしげしげと眺めて、わたしも何か作りたい、と言った。茶碗か湯呑みかと問うと「箸を作りたい」と言うのだった。熱心に通いつめ、ほどなく出来上がった箸は体格を反映したかのように太く大きく、豆のつかみとり競争には勝てないだろうな、という代物だったが、彼女は大いに満足したようだった。
 食器や箸は、洋服や靴のように明確なリミットを持たないもののような気がする。洋服も靴も、モードが去ったり体型が変わったりすれば入れ替えられる。今までに食器を処分した記憶は、人知れず衣服を葬り去った記憶の十分の一ほどもないかもしれない。毎日接するものでありながら、なんとなくずっとそのままあるもの。シャツを買い替えるより贅沢な気持ちがしたのはそのせいだろうか。
 新しい箸で、(大好きな)納豆の豆を掴んでみる。手触りがきりりと引き締まっていて、まだ手になじまぬ光沢がある。これは人生の手触りだ、とまでは言わないが、箸の先で少しへこんだ豆を見つめる。この感触を忘れちゃいけないのかもしれない、と思うのだった。
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