短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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三宅やよい

 
見るチカラ

 見えていると思っている世界は視野のほんの一部分でほかの部分は脳が補完して見せてくれているらしい。単調な日常に「見るチカラ」が退化してしまった私には台風前夜の道を転がってゆくゴミバケツの蓋も倒れた植木鉢もいつかみた景色に同じと思えてしまう。おおざっぱな風景に生きている私に池田澄子さんの差し出してくれる世界はおもしろく、苦しい。角川書店より出版された池田澄子さんの第四句集『たましいの話』この句集の重たさは「生きているということは、大切な人に死なれるということ、取り残されるということだったのだ。人の憂いは、結局は全て、免れ難いそのことに発しているということを改めて体感した。」と、あとがきにあるように取り残される哀しみと老いに向かう実感が滲み出ているからだろう。重たいといっても句そのものは決して重苦しくない。軽やかなスミコ調で池田さんはずっしり充実した句を手渡してくれる。
 俳句の即興性は生もので、言葉を練るあまり瞬時に句に宿ったみずみずしい光が失われてしまうことがある。即興と推敲はある意味相反するベクトルの折り合いをつける難しさがある。池田さんの「見る」行為は自意識を研ぎ澄ませて爪先立ちに日常を見つめ、ただ事と思えることに「見えた」はずみがつくまで言葉を丹念に吟味し続ける苦しい行為に裏打ちされている。池田さんの句の推敲と選択の厳しさは並々ならぬものがあると思うのだけど、-その苦労の跡をとどめず、ふっと感じる心のよろしさを増幅させて読者に手渡すこの句集のふくらみにつくづく自と他を見据える言葉の力を感じさせられる。

・目覚めるといつも私が居て遺憾
・頑張らざるをえない孔雀の尾の付け根
・大寒の困ったことに良い月夜
・幸彦忌顔を洗った手がきれい
(『たましいの話』池田澄子 角川書店より)
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