短歌ヴァーサス 風媒社
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★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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三宅やよい

 
明大前を過ぎたあたりで

 潮が引くように人が少なくなった。
 終電すれすれの時間帯の車輛にいかにも今風の格好をした若者が目につくのは渋谷から吉祥寺に向かうこの沿線に学生が多く住んでいるからだろうか。
 空いた座席に腰をおろしてしばらくすると隣で居眠りをしていた青年がずっしり重い頭を左肩にもたせかけてきた。よっぽど疲れているのか、深酒したのか。ふっと意識を揺りもどして身体を立て直す気配もなく、寄りかかってきた頭は深々と左肩に沈み込んでゆく。身体を引いて起こすのにためらいが生じたのは自分の娘と同じぐらいの年頃に思えたからだろうか。
 肩にもたせかけた頭の重みに生まれたばかりの娘に初めておっぱいをやった病院の暗く長い廊下が甦ってきた。
 <コノヒトハドコカラキタノカ>
 母親の肩に頭を持たせかけて眠る若者など多分いないだろうから、ほかの乗客はおかしく思わないだろうか、周囲を見渡してみたが、そばの人たちは膝に視線を落として携帯の操作に余念がない。身じろぎもせず青年の頭を支え続けて幾駅過ぎたろう、突然携帯電話がけたたましく鳴り出した。はじかれたように身体を起こした彼はかばんの中の携帯を探り出し、あたりをはばかりながら二言三言話すと、慌しく電源を切った。見知らぬ人に寄り掛かって正体無く眠り込んでいた自分を恥じているのか、すっと席を立ち落ち着かない様子で降車ドアに近づき、こちらに背を向けたまま暗い車窓に流れる景色をじっと見つめている。二つ目の駅で降りてしまった青年の顔はついにわからずじまいだった。身じろぎせずにいた緊張がゆるんだ左肩には眠気を含んだ青年のずっしりと重い頭の感触がまだぬくく残っていた。

  おとうとは納屋に置き去り蚊遣香 やよい
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