短歌ヴァーサス 風媒社
カレンダー 執筆者 リンク 各号の紹介 歌集案内

★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
← 2005.7.12
2005.7.13
 
2005.7.14 →


佐藤りえ

 
前方不注意

 先日、関西出身の知人と話している時に常々気になっていたことを聞いてみた。
「東京のひとって前を見ないで歩いていると思わない?」
「あー、そうですねえ。言われてみれば」
 なぜ関西出身のひとにそういうことを聞いてみたかったのかといえば、私自身の乏しい経験を思い起こしてみても、関西圏の雑踏で人にぶつかることは、首都圏よりかえって稀だったような気がしたからである。関西では信号の色に関わらず横断するとか、せっかちである、という(真偽はともかく)全国区に伝えられている特性をもってしても、特に道が歩きづらいと感じた記憶は少ない。
 それに対して東京の、首都圏の歩道を歩いていて気になるのは、向こうから歩いてくる人のほとんどがこちら側、つまり前を見ていないという点である。それは繁華街や名称史跡、景観の綺麗なところに限らず、たとえば味も素っ気もないビル街のど真ん中でも、ひとりでも集団でも同じで、道行く人は前ではない、どこかを(見るともなしに)見て歩いている、ように感じられる。
 私は運動神経はぜんぜんよくないが歩く速度がすこし早いほうで、そうすると前方不注意な人の間を縫うようにして日々歩行していくことになる。人の多いところでは誇張でなく身をかわし続けていることもある。遠目に見たらひとりで体裁きの練習でもしているように見えるかもしれない。
 別に、怒っているわけではない(語調は明らかに怒り調子ですが)。危ないじゃないかと、そんな無防備なことでどうするんだと、警鐘を鳴らしているわけだ。無差別テロが横行するような殺伐とした現代社会において、前から歩いてくる人が刃物をちらつかせないとも限らない。そうでなくても「ひとにぶつからないように歩く」というのは最低限のマナーなのではないか。マナーが悪化しているというより、そこに人がいる可能性がはなから感じられていないような気がして怖い。
 ある日、ショッピングモールを通り抜けて駅へ向かう途中、長い上りのエスカレーターに乗った。隣の下りエスカレーターのレーンを見るともなしに見ていたら、ある違和感をおぼえてはたと気がついた。降りてくるお客のほとんどは、夢を見るような表情で前方を見据えていた。エスカレーターの先にはショッピングモールがあり、華々しい電飾と音響がお客の消費を待っている。
 バブル崩壊が騒がれて久しいが、どこかぼんやりと街を行き交うひとたちは、もしかしたら見果てぬ夢のただ中にいるのだろうか。毎日毎日大量に投入されるタワー型マンションの広告を横目で見ながら、違和感を拭いきれずにいる。前、見てないと危ないですよ?
← 2005.7.12
2005.7.13
 
2005.7.14 →