短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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若原光彦

 
終わる煙

 数日前、卒煙という言葉を知った。一時的な禁煙と区別して、恒久的な禁煙を指すらしい。ナイスな言い換えだとは思うのだが“卒”という字が感情的にウェットで馴染めない。私だったら“終”煙とする。何の感情も込めず“終わりました”と断言するに留める。
『そうだ、人は禁煙を始めるわけじゃない。終煙後を生きるだけなのだ』。そう考えると喫煙も禁煙も、なんだか詩的で豊かな出来事のように思えてきた。以前から禁煙を考えてはいたが、よい機会なので決行をきめた。灰皿やライターを袋にまとめ片付けた。

   *

 そして三日が経った。ガムを一本消費した。のど飴も一袋カラにした。禁煙をナメていた。つ、つらい。煙草が吸えなくてもイライラなどしないが、ただムラムラする。そしてコーヒーやゲーム機や耳かきに手が伸び、無為の時間を過ごしてしまう。フラストレーションが微妙なため、落ち着くようでいて落ち着かない。

 思考作戦「終煙」は一応有効に働いている。たとえばテレビに俳優が映る。彼は一本くわえている。こっちも一本吸いたくなる。私は眉をしかめ、かぶりを振る『ふ、俺の煙草は終わったんだ』。
 あるいは、このコラムがなかなか完成しない。書いても書いてもまとまらない。呼吸を整え一服したい。私はマンガの登場人物みたく「やれやれ」のジェスチャーをする『喫煙か。もう終わったことだ』。
 まるで煙草が絶滅したかのようで大袈裟だが、場はしのげるし気力も湧く。未練はなかなか消えないが。

   *

 私が日常的な喫煙者になったのは名古屋に出かけるようになってからだ。煙草があると会話が持つ。暇も潰せるし、緊張も紛らわせる。ライブハウスや知らない土地では、煙草があると色々と便利だった。そしてその便利さに頼りすぎてしまい、本数が増え、喫煙が習慣化した──

「おれはお上人がうらめしい」
「うらめしいが無性に会いとうございます……………」
「こうやって酒を飲むのも気がやすまらないからでございますよ」
(手塚治虫『火の鳥 鳳凰編』)

──俺は煙草がうらめしい。うらめしいが無性に会いとうございます。こうしてぐだぐだ書いてしまうのも、気がやすまらないからでございますよ。
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