短歌ヴァーサス 風媒社
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★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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佐藤りえ

 
猫叱咤する(後編)

 ソファの側面と肘掛け、背当ての部分は爪を研がれた痕でいっぱいだった。無数の擦過傷に覆われたソファは、その傷跡を隠すでもなく、ちょうどプロジェクターのスクリーンが見える位置に据えられていた。並んで座ったAさんと私の膝を経由して、もなかさんが身軽にテーブルに駆け上がり、Aさんの鞄に興味を示した。テーブルの上には大部分の葉っぱを失ったポトスの鉢があった。葉っぱが痛ましいほどに少なくなっている理由はすぐにわかった。葉っぱに顔こすりつけたもなかさんが、ぱりぱりと端を咬みだした。猫がポトスの葉を食べる習性があるのかどうかわからないが、何かの理由で、その観葉植物の大部分はもなかさんによって損なわれたらしい。
 ダイニングテーブルの上にはキャットシッターさんへのメモが置いてあった。われわれが赴いた日以外のKさん不在の間、もなかさん、ぎんさんの世話をしているのだ。今回そのような職業があることをはじめて知った。
 世の中にはペットホテルや動物病院というものも存在するが、ペットがすぐさま環境変化に適応するものでもないし、そうした場所は日頃活動している空間に比べて圧倒的に狭く、ストレスを与えることも多いのだという。人間だって、突然狭い空間に数日押し込められたらいい気持ちはしない。知らない環境で知らない人の世話になって寛ぐというのは、実はかなりの勇気が必要なふるまいなのではないだろうか。いろいろの、大なり小なりの理由から、シッターを頼んで家に来てもらうというのは悪くない方法だと思う。
 甘いものではないということはわかった上で、それでも数多の猫に出逢えるその仕事にそこはかとなく羨望を抱く。しかし自分のような単なる猫馬鹿ではやはり仕事にはならないだろう。世話の項目自体はこなしても、それぞれを繋ぎ合わせる総合力ー猫に対する姿勢とでもいおうか―は、自分には特に備わっていないということも、よく知っている。今回も世話をしたというよりは、もなかさんぎんさんに文字通り「叱咤された」ようなものなのだから。
 膝で爪を磨がれたり、デジタルカメラの紐に飛びつかれたりした後、名残惜しく去る我々を、もなかさんぎんさんは冷房のききはじめた部屋の奥からクールに見送ってくれた。玄関先にまでまとわりついて…などという甘い夢を見ていたのは我々のほうで、先ほどまでの「異変」など気にも留めないふうに、ふたりは主の帰りをまったりと待っていた。持参したおやつはもなかさんががつがつと食べてくれた。ささみを小さくちぎるのももどかしく、自慢の前脚ではっしと掴んでくれたのがことさらうれしかった。爪がちょっとひっかかったけれど、それも今では甘い痛みとして記憶に残るばかりである。
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