短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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Sin

 
じゅにあ

 川柳界の犯罪者を目指している僕が(先週のコラム参照)、町広報誌の「ジュニア柳壇」の選者などというものもつとめている。つとめていると言っても、おかじょうき川柳社数名で順番に選を担当していくわけだが、11月号が僕の順番らしく、たったいま選を終えたばかりである。
 子供達の川柳の選はとても面白い。と同時に、判断に迷う場面も多い。選者によっては、たとえ良い句でも5・7・5になっていないと没にしたり、大人びた作品より、発想の善し悪しで作品を上位にもってくるなど、何を子供達に学んで欲しいかという選者の意識によるところが、とても大きくなってくる。僕の場合は、何を学んで欲しいなどといった低俗な行為は実際に判断に迷う例を今月の句の中から、いくつか挙げて考えてみよう。題は「遊び」である。

(1)親の手が入っていそうな作品
 【例句:あきのそらトンボまいちるくものした 小4】
 もしかしたら、子供自身で書いた作品かもしれないし、たとえ、親の手が入っていたとしても、一緒になって川柳を考えているのであれば、それはそれでいい傾向だと思うのだが、明らかに親が手を入れると、芭蕉気取りというか、俳句の名句っぽいイメージに仕立てようとするので、あまり良い作品にならないことの方が多い。

(2)作者が子供か大人かによって見方が変わる場合
【例句:おにごっこ誰か助けて下さいな 小5】
 「おにごっこ」は本来、自分自身で逃げ回る遊びであって、誰かに助けを求めることはない。だから、この「おにごっこ」を、作者にとって自分を追いかけ続けるもののメタファとしてとらえれば、特選までとはいかないが、大人の句会では佳作ぐらいには選ぶかもしれない。でも、作者が子供だとすると、単に鬼につかまりたくないだけじゃないかという読み方もあって、どこまで深読みしていいものかどうか迷うのである。

(3)芸術作品だった場合
【例句:さか上がり 小2】
 上5だけの作品である。いや、下5だけかもしれない。あの谷川俊太郎が、紙の上に、ぽたっと墨をたらした瞬間、「詩だ」と呟いたのは有名な話だが、この作者もたぶん、「さか上がり」が出来なかった日々のつらさ、苦しさ、出来た時の喜び、感動、そんな軽率な言葉を羅列しなくても、この「さか上がり」という一言で、そのすべてが表現されるのではないか、という句意なのではないかと思う。でも没だ。
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