短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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若原光彦

 
日記、再開。

 日記を書き始めることにした。

   *

 94年から99年までの五年間、私は日記を書いていた。書くべき時だけ書くスタイルで、一ヶ月に数ページという時期もあれば、連日十数ページ書き続けた時もあった。その日記は、自分の状況や心理を説明し残す「記録」として書かれていた。「いつか他人に読まれる」ことを意識し「遺書」になることも想定された日記だった。
 そして、続けているうちに日記自体が装置になった。趣味にしろ日常にしろ、書くことで自分が物語化されていく。私は自分の置かれた立場や出来事を回想し、それを少しでも他人に伝わるように書こうとした。私は手記によって自分自身を問い、確かめ、浄化していた。
 実際は、自己批判と自己弁護で自分を板挟みにする、惨めでシビアな作業だった。しかし今思えばあれは数少ない「救い」だったのだと思う。結局ノートは四十冊を超えた。

 日記を書かなくなった理由ははっきりしない。おそらく私はかつてほど散文を信じられなくなったのだろう。日記を通じ、私は次第に文章表現の欺瞞を実感していった。随筆とは事実を記録し伝達するものではない。自他を断定・固定化し虚構化さえ加える行為だ。今でも私は、批評のたぐいを眉につば付けずして読めない。

   *

 最近は思うことが多かった。それをいつまでも頭の中で巡らせているのは辛かった。断定を避け、曖昧な現実を曖昧に受け止めれば、無限の疑問を抱き続けることになる。
 かつてほど切迫してではないが、今私は書くことで気持ちを整理したいと考えている。「いつかの読者」は「未来の自分だけ」と規定し、誰に公開するでもなく、ブログでもメールでも明かせない思いを書き連ねてみたい。思いを整理する余白を得たい。

 再開する日記には、PCを用いないことにした。PCやネットとは別次元で手を動かし、思考してみたいと思っている。
 買い置きの大学ノートを降ろし、日記帳に当てた。初回は、昨日あったこと、なぜ日記を書き始めたのかなど気付けば一時間半、五ページも書いてしまっていた。私はノートを閉じ、夕食を済ませ、そして本稿に取りかかった。キーを打つ手が少し軽く感じる。
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