短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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斉藤斎藤

 
そして、<大きな態度>が残った

 ……国語教育とは読み書きだけではなく、時代によって蓄積された知の共有資産にアクセスすることで人間としての意識を高める、教養教育の側面もあるはずだ。その部分も含め、どのように若い世代にオーソライズしてゆくかは、今後真剣に論ぜられるべき事柄である。そしてそれは短歌における若年層の拡大に対しても有効な方策になり得ると筆者は信じる。
   生沼義朗「知的共有資産と笛の音 差異を埋めるために」

 「有効な方策になる。」ではなく、「なりうると筆者は信じる。」なのは、その方策を筆者自身ちょっとどうかと思うためらいである。[sai]創刊号の巻末には、参加メンバーの「ひとこと」がまとめられており、生沼は「ひとこと」でこうも言っている。

 ○<大きな物語>の失効以降、あるイデオロギーを旗印に集まる同人誌を新たに立ち上げることは事実上不可能と感じている。

 知的資産が共有されなくなったことと、<大きな物語>が失効したことは、ひとつの同じ事態である。映画音楽演劇絵画文学舞踊その他もろもろ芸術にも古今東西いろいろあるし東京に住んでればたいていのものは見聞きできるわけで、すべての若者がわざわざ能を鑑賞しなければならない動機があるとすればそれは「日本」という<大きな物語>以外には考えにくい。いかなる教養もない若者が増えておる問題の手前に、教養にもいろいろあってたいへんですね問題もある。
 という状況はもちろん生沼もひしひし感じているところだ。「知的共有資産と笛の音」を読むとすごい上から物を言われてるようでしゅん、としてしまうけどそれは生沼さんが偉そうな人だからでは全くない。結社を経由しない有力な若手歌人が増えてゆく中それでも結社をつづけてゆくとすれば<大きな物語>をこじんまりと背負ってゆくほかないという謙虚な認識をかみしめつつ、かと言って<大きな物語>の担い手として<大きな態度>は崩せないから謙虚に上から物を言わねばならないというふくざつな立ち位置がいいひと・生沼をしてそうさせているのである。この<大きな物語>亡きあとの<大きな態度>問題を典型的に地で行っているのが藤原龍一郎さんだがそれはともかく、[sai]創刊号では高島裕がおもしろかった。
(この項、つづく)

[sai] → http://www.kurosekaran.com/sai/


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