一月十日
一月十日 藍色に晴れヴェルレーヌの埋葬費用九百フラン (塚本邦雄)
連作「水銀伝説」百首の掉尾の一首。かつて、はじめてこの連作を読んだとき、どうもそのおもしろさが理解できず、叙事的な連作では、塚本邦雄でさえ、独立性の薄い一首を書いてしまうんだなあと思ったものだった。現在の評価はかなりスライドして、連作中で、この一首がいちばんおもしろいと感じている。 ポール・ヴェルレーヌが死んだのは一八九六年一月八日である。数日後に葬儀がおこなわれ、濃い青空の下で埋葬がなされ、費用が九百フランだったという。ただそれだけのことが作品として成り立つのは、ランボーとヴェルレーヌの半生を描いた連作の掉尾だから、ということもあるだろう。けれど、それだけでは説明できない不思議な感触がこの作品にはあるようだ。 その感触はたぶん、ほとんどが審美的世界観によって人工的に構築される塚本の文体にあって、この一首が、事実に基づくことばの発見を多分に含んだために生じたのだと思う。「藍色に晴れ」という詩的バイアスのかかった表現と事実的な記述の文体とに宙吊りにされながら、モダニズムにもリアリズムにもない不思議な感触を生んでいる。数字だけを見ても、同じ連作中の「銅婚式 百のコップに車輪なす同心円の溺るる檸檬」の「百」などとは本質的に違う位相に「一月十日」や「九百フラン」はあるようだ。 作家が方法論的なイズムを尽くすのはきわめて大切だが、はからずも生じる方法論の破れ目に、予期せぬ収穫がおとずれることもある。定型はしばしば、厄介で愛すべき「他者」としてふるまうらしい。
※掲出歌は、第四歌集『水銀伝説』(一九六一年、白玉書房)所収。 |