短歌ヴァーサス 風媒社
カレンダー 執筆者 リンク 各号の紹介 歌集案内

★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
← 2005.1.7
2005.1.8
 
2005.1.9 →


櫂未知子

 
松過ぎの冷蔵庫

 「お正月気分」の抜ける時期がとみに早くなってきた。それはなぜなのだろうと考えてみたことがある。その時の結論は、「コンビニエンスストアがあるから」だった。
 根性のあるスーパーマーケットでさえも、大晦日が過ぎれば休みになる。飲食店も従業員が里帰りするから、年末からどんどん休みになる。しかし、コンビニは眠らない。常と変わらず蛍光灯を煌々と灯し、交代で店を守る。朝7時から11時どころか、24時間営業を謳っている以上、旧年と新年の変わり目にいちいち感慨を抱いている暇はないのだろう。
 ある節目が来たらあらゆる店が一斉に閉まってしまう、これはものごとのけじめとしてすっきりしていると共に、一種の恐怖感をもたらす。しかし、コンビニが出現した。コンビニは「あそこなら開いてる」という甘えを生み出したように思う。いや、年末ぎりぎりまで働き続ける人達にとって、福音と呼べるものだったのかもしれないけれど。
 元旦の緊張感、二日の弛緩。三日の外出願望。四日の「あ、休みはいつまでだった?」という焦り。五日六日の半端な気分。七日の「とうとう終わりか」。そして八日の「お正月はどこ?」。一日一日の微妙なニュアンスの違いが面白い。俳句では、元旦はもちろん、「二日」「三日」「四日」「五日」「六日」「七日」それぞれが単独で季語として機能している。
 コンビニの冷蔵庫を覗く。地域色はあっても季節感は案外乏しい。その後、帰宅して冷蔵庫を開ける。元旦に出したのに食べきれなかった海老の鬼殻焼の残りがある(もう駄目だろう)。だし汁の色がたっぷり移った数の子、板のはじに危なっかしげに乗っている日の出蒲鉾。六日に作ったクリームシチューの残りが入ったタッパーとふた切れだけある沢庵。急速に色褪せてゆく正月の残骸と、いつもの生活の匂いの濃い食べ物が、八日の冷蔵庫にはひしめきあっている。

  松過ぎのこの一鉢をどうしよう 未知子
← 2005.1.7
2005.1.8
 
2005.1.9 →