短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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大辻隆弘

 
高3コース

 今もあるのだろうか、昔「高3コース」という雑誌があった。そこに設けられていた俳句欄に、私はせっせと句を送っていた。そのころ私は俳句を作っていたのである。
 私の手もとに茶色に変色したそのころの切り抜きがある。1978年の秋だ。高校名の下に私の名が書かれていて、その横に「手の甲の静脈青き桜桃忌」という私の句が載っている。「退廃の中に人間性を鋭くえぐった太宰の文学と人柄によせる思いが一句の裏に無理なく定着している。若者のふるえるような自己凝視のひととき」という選評がつけられている。
 とても暖かい評だと思う。自己嫌悪にまみれていたそのころの私は、胸を熱くして読んだに違いない。
 何度か私の句が掲載された。他の投稿者の句をいつも意識して読んだ。「マッチ擦る眼前枯野遥かなり・武藤尚樹」「保育所の塀沿いに猫日の盛り・妹尾健太郎」「嫌われてひとりで帰る落葉道・田野倉康一」。どの句にも羨望を感じた。
 まだパソコンもワープロもなかった頃である。自分の作品が活字になるという喜びは、今の若い人には想像もできないほど大きいものだった。ぱっとしない高校生だった私にとって、それはひとつだけの取り柄だったのだ。
 晩秋の頃、学校宛てに「獏」という雑誌が送られてきた。担任教師が、ホームルームの時間に、その雑誌を手渡してくれた。誰かがどこかで私の句を読み、私を仲間に誘ってくれている。それが奇跡のように感じた。
 武藤・妹尾の二氏は俳人として活躍しているらしい。田野倉さんは、今、詩人として活躍しているあの田野倉康一さんなのだろう。同じ欄に投稿していた田中裕明さんは、昨年末、急に亡くなった。
 迷った末、結局「獏」には入らなかった。あのまま俳句を続けていたら……などと、あらぬ想像をしてみることがある。
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