東京の人
「黄色いスカーフを巻いていきますから」 それを目印に母とわたしは初対面の女の人と待ち合わせをした。頭の回転の速そうな話し方、その目印の決め方が、もうなんだか東京だ。初めて知り合った東京の人。わたしのひとり暮らしは、彼女の家の二階の三畳間で始まった。 当時三十三歳の彼女は、三人の子どもたちと住んでいた。同じ敷地に彼女のご両親の家がある。ご主人を病気で亡くして実家に戻ってきたのだ。女の子二人は小学生、下の男の子はまだ幼稚園。そんな苦労やかなしみを感じさせない明るい人だった。「子どもたちと夜空を見上げて『パパはあの星になったのよ』と言って聞かせた」という思い出話にも、コミカルな身振りがつく。 子どもたちはそう躾られているのか、めったに二階に上がってこなかった。だが郷里には生息していなかったゴキブリに遭遇すると、わたしは「タケちゃん、ゴキブリ!」と大声で男の子を呼ぶ。すると、いつも姉たちに泣かされている彼が、すごい勢いで駆け上がってきてゴキブリを叩きのめしてくれた。 電話を取り次いでもらっていたが、詮索されることはない。そして下宿していた四年間のうち、一家と食事を共にしたことは一度もなかった。その適度な距離のとり方に、わたしは東京っぽさを感じた。 三十歳を少し過ぎたころ、思いつきで急に訪ねると歓迎してくれた。彼女はわたしの年齢に驚き、「二十代のうちに来てほしかった」と叱られた。いやでも自分の年齢を思わされると彼女は言ったが、まだ充分若々しかった。黄色いスカーフのことを言うと、「そうだったっけ? やだ、恥ずかしい」と笑った。
海鼠踏んだら「トウキョウ」と音がした 倉本朝世 (2000年 北宋社刊『現代川柳の精鋭たち28人集』) |