短歌ヴァーサス 風媒社
カレンダー 執筆者 リンク 各号の紹介 歌集案内

★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
← 2005.1.22
2005.1.23
 
2005.1.24 →


荻原裕幸

 
新潟の雪

新潟のさといもぬめるしっかりとここで暮らして雪を見なさい
(本田瑞穂)

 短歌は一人称の詩型であると言われる。別の言い方をすれば、作品のなかにあらわれる一人称が、作者とぴったり重ならないまでも、輪郭のたしかな「自己像」を結ぶときに、表現としてのある種の強度が高まるということである。そのとき読者は、信頼して、あるいは、安心して一首を読むことができるのだろう。
 これは、蓋然性の高い短歌のノウハウではあるが、この「自己像」を価値の頂点としない場からは、つねに例外が生じてゆく。「新潟のさといも」は、その典型的な例だと言えようか。
 この一首、下句の「ここで暮らして雪をみなさい」のナレーターをどう読みとるかによって、作品の感触がかなり異なったものになる。誰が誰に向けて語りかけているのかがはっきりしないため、容易には「自己像」が結ばれない。読後の不安定感は、一人称の詩型、という面からだけ考えれば、マイナスのファクターとしてそこにある。
 ただ、その読後の不安定感を、この歌の魅力として読むことも可能ではないだろうか。ぬめりを帯びた新潟のさといもが「しっかりとここで暮らして雪を見なさい」と語りかけているように思われる。またそれはある日の母の声としてひびいているようにも思われる。そしてまたそれは内なる声として自身が自身に言い聞かせているようにも思われる。
 こうして「新潟」という固有名の効果と相俟って、瞬時にナレーターを切りかえながら襲って来る声の圧迫感を読みとるとき、一人称の詩型としては見えづらかったこの一首の強度がたちあがる。素朴なモチーフを現在の文体のなかで昇華した好例に数えておきたい。

※掲出歌は、第一歌集『すばらしい日々』(二〇〇四年、邑書林)所収。
← 2005.1.22
2005.1.23
 
2005.1.24 →