鮭とおこわ
「鮭三切れ送ったから」 「えー、いらないって言ったでしょ。どうして確認してからにしてくれないの。こっちはそっちより暖かいんだからね。それに一度解凍したものは再冷凍できないでしょ。もう何も送らないくていいから」 また、やってしまった。せめてもう少し違う言い方はなかったか。電話を切った後、そう考える。しかし、母親というのはどうして食べ物を送ってきたがるのだろう。日持ちがしてその土地でしか手に入らないものなら嬉しいけれど、東京でも買えるものをわざわざ送料をかけて送ってよこす。(そのぶんの現金を送ってくれるほうがいい、とはさすがのわたしも言えない)再配達のために外出しないで待っているのが煩わしいと言えば、郵便受に入る大きさのものをと考える。そのあげく、娘に感謝どころか叱責される。気の毒だ。 いつか見たドラマを思い出す。不本意な会話を最後に、急に父親に死なれて猛烈に後悔する不良息子。絶対にないとは限らない。そう思うなら優しくなれよ。でも、わたしは以前読んだ小説の登場人物の口癖を、心のなかでくり返す。 「ねえ、わたし、何か間違ったこと言ってる?」 正論はときには人を傷つける。 「あはは、それはしかたがないよ。うちの母なんて、おこわを一食ぶんずつ冷凍してラップに包んで送ってくるよ。ありがとうって受け取るしかないよ」 友人が笑う。忙しくてろくな食事をしていない、離婚後一人暮らしの不憫な娘。郷里の親はそう思い込んでいるけれど、実は彼女は恋人と同居中だ。お母さん、おこわなんか送らなくてもいいんですよー。あなたの娘は充分幸せなんですから。 お母さん この世は滑るところです 峯 裕見子 (2003年10月刊 バックストローク第4号)
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