短歌ヴァーサス 風媒社
カレンダー 執筆者 リンク 各号の紹介 歌集案内

★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
← 2005.1.16
2005.1.17
 
2005.1.18 →


増田 静

 
屋上にて(24)

 どこに行くよりわくわくするのに、同時にひどく緊張する場所があって、下北沢だ。地方で演劇に関わってきたわたしにとって、日本の演劇の中心であり、小劇場の集中する下北沢は、長く、手の届かない憧れの場所だった。でも「緊張する」のはそんな気持ちのせいではない。街が、迷路のように入り組んでいるせいだ。わたしは極度の方向音痴で、曲がるたびに現れる路地がどこにつながるかを把握できない。特に世田谷に住むまでは、下北沢に行くのも年に1度か2度。迷子にならないためには、開演の2時間前には下北沢に到着し、劇場の位置を確認したら、あとはごく最寄りの公園に移動して、ぼんやりしておく。迷子になって劇を見逃さないために、ただじっとしておくのである。
 上京して間もなくのこと、その下北沢に、演劇に関するある面接を受けに出掛けたことがあった。16時半の約束で、1時間前には下北沢の駅にいた。指定された場所までの道を確認し、あとは駅の近くの書店で立ち読みなどして、時間までは動かないようにしておく作戦だ。
 4時をまわったころ、留守番電話に気がついた。面接の主催者側から、場所を変更したい旨とその場所までの順路がえんえん吹き込まれている。「小田急線の線路にそってまっすぐ行って踏切を渡ると右手のほうに」と言うのだが、小田急線と井の頭線の2本を結ぶ下北沢のこと、どの線路が小田急線かがわからない。安心していた私の胸に、すうッと冷たい不安がたち上ってきた。時すでに16時10分。どきどきしながら折り返し電話をかける。しかし相手は言うのである、
「あれ?今何時ですか?約束は16時半ですよね」
 16時半になってから電話をしろ、と言うのだ。立て込んでいるのか。留守電を聞きなおし、踏切と言われて思いつく踏切に走る。方向音痴がそんなことをすると、たいてい正反対の場所にでる。案の定だ。もと来た道を走る。見たような、見たことないような風景が、頭を通過して消えていく。16時35分に指定の場所についた。遅刻だ。でも主催者側が到着したのは、それから20分後だった。
 この日を境に、下北沢は日常的な町に変化していった。穴があいていた地図もだんだんと埋まっていき、最近はそこへ買い物にでかける。友だちと待ち合わせてお茶を飲む。それでも時に、知らない小道に迷いこむことはある。
← 2005.1.16
2005.1.17
 
2005.1.18 →