短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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佐藤りえ

 
ぼくらが旅に出る理由

 転勤族でもないのに、引越しの多い人生を歩んでいる。多い少ないは個人の感覚によって違うとしても、10回は越えているので少なくはないと思う。「帰らない」という点に於いて、大袈裟に言えば引越しは究極の旅である、ということができるのではないか。
 はじめて一人暮らしをしたアパートはクリーニング店舗の裏の倉庫の二階の部屋だった。もともと居住用に作られた建物ではないので、いろいろとおかしなところのある部屋だった。まずドアを開けると、寸暇を惜しまずドアがある。玄関と名の付くほどのスペースではない、60×60センチほどの空間があり、すぐに向こう側へ押して開けるドアである。材質はモダンな和室の「ふすまドア」のようなもの。それを開けたところが六畳の和室で、左手に板張りの台所がある。台所は同じ六畳ほどの広さがあるが、コの字型をしている。「コ」のつながっているところがシンクで、上辺の突き当たりがトイレ、真ん中の空間がユニットバスだった。下辺側には洗濯機を置いていたが、これは別に置き場だからでもなんでもなく、他に設備がないためユニットバスから水を引くためだった。
 最も不可解だったのは押し入れだった。幅は一間分あるが奥行きが60センチしかない。くだんの玄関のわきが押し入れなのでそんなことになってしまったようだ。三つ折りでは布団がしまえないので、掛け布団は五つぐらいに折って押し込み、敷き布団は立てて収納した。
 その珍妙な部屋には結局二年住んだ。駅からは遠かったが職場の近くで、人が住んでいるとは思えないせいか勧誘やセールスに煩わされることもなかったからだ。そして何より家賃が安かった。家主は蒟蒻製造会社の老社長さんで、毎月事務所まで家賃を納めに行った。部屋を借りる際のただひとつの条件が「家賃持参」だった。事務所に上がると決まって緑茶を出され、束の間世間話をした。印鑑にはあっと息を吹き掛けて捺印した通い帳を手渡し、社長さんは必ず「体に気をつけてね」と言った。
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