短歌ヴァーサス 風媒社
カレンダー 執筆者 リンク 各号の紹介 歌集案内

★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
← 2004.8.8
2004.8.9
 
2004.8.10 →


増田 静

 
屋上にて(2)

 世田谷のずいぶん大きな地図をもっている。片手では開けないほどの大きさで、もっぱら部屋で見ることしかできない。外でひらくと、船の帆のように風をうけ、ばさばさうるさくて仕方なく、目的地を見つけるどころではないのだ。
 そもそもわたしという人間は、石橋をわたったあとからふと心配になり振り返って叩いてみるタイプで、知らない場所へいくときも地図で調べて行くというより、帰ってからとおった道を確認することが多い。いやむしろ、おそろしい方向音痴なので、どんなにすばらしい地図があっても役にたたない、というのが本当のところ。
 とはいえ、寝る前にうつぶせで地図をながめる至福。今日のあの道は赤堤通りというのか、とか、烏山川緑道をずっと行けば三茶につくらしい、ということがわかり満足する。そして次はこの道をこう行き、こう曲がって、こう川沿いに世田谷美術館へ行こう、と思ううち寝てしまう。翌朝には忘れている。
 その地図は、区役所がくれたものだ。住民票を移しにいったらくれたのだ。ほかの何をもらうより、町の参加権を与えられたようでうれしかった。表はふつうの地図で、裏にはバス路線、せたがや百景、文化財、避難場所が載っている。
 東京で今の部屋を契約するさい、担当の不動産業者は言った、
「住民票をもっているのは凄いことなんですよ」
住民票なんて誰もが当たり前に持っているのかと思ったが、違うらしい。部屋探しの雑誌でもときに「わけありの方もお気軽にどうぞ」といった案内を目にすることがある。
 それがどんな「わけ」だか知らないものの、地図をもらえないとしたらちょっとさみしい。
← 2004.8.8
2004.8.9
 
2004.8.10 →