近影考
ウェブの構成の打ちあわせで、編集部の林桂吾さんが、これでは大辻隆弘さんと櫂未知子さんが浮いてしまいますね、と言う。あの正当派の二人が浮くわけないし何を言ってるんだろ。と思ったら、執筆するメンバーの出してくれた写真の話であった。 そう言われてみれば、牛くんとか田中家の息子さんとか句集ランチとかペンギンマニアとか、気づいたらカーニバルになっていて、正当派の写真がかえってめだつ状態ができてしまっている。短歌ヴァーサスらしいと言えばらしいのかも知れないけど……。みなさんそれぞれにこだわりがあるんですね、と、林さんの微妙に気遣ったコメントに、隠しておいたはずの大事な秘密がばれたような複雑なきもちになり、どう答えたものかと思案していたが、ともあれ、2004年8月2日、短歌ヴァーサスのウェブはスタートしたのだった。 ウェブを見た人の間でも一連の写真は話題になったらしい。いささか強引に話を展開すると、作家たちの近影というのは、意外なほどその人の「文体」ないしは「自己像」を反映させていると思う。大辻さんと櫂さんはものごとに真正面から対峙する気風だし、増田静さんはおだやかな草食獣のこころをやどしているし、松井茂さんは作家の同一性の問題にこだわっているわけだし、矢島玖美子さんはわたしよりも作品を食べてと艶っぽく言っているようだし、佐藤りえさんは何を隠そうにゃんばむ作家なのだし、まあそのようなわけで、一部説明になってない気もするが、文は人なり、近影も人なり、と結論づけておこう。 などと書いていたら、だとしたら、ぼく自身の近影はいったい何を示しているのか、それが気になって来た。自分の出す写真はいつも後から見てみるとどうにも表情が硬いので、たまには無防備なものを、という程度のつもりであれにしたのだが……。 |