短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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櫂未知子

 
哀愁の流しそうめん

 人を介さずに物を入手できる場、つまり、通販を愛する。いや、違う。通販を愛するというよりも、カタログに載っている商品の馬鹿馬鹿しさに陶酔したり訳もなく怒っていたりしている、というほうが正しい。
 ――はめただけで一切の家事ができなくなるぐらい重たそうな、とんでもなく派手な指輪。割引に割引を重ねた結果、当初の五千万円から九百八十万まで下がった。
 ――「部屋の中を歩くだけでお掃除OK」という商品。これは、スリッパにダスキンのモップがくっついてるような物で、アイディア自体は悪くない。しかし、添えられている写真が「アタシはゾウリムシ」めいたもののため、多数の人が撤退してしまうだろう。
 しかし、今年の夏、私は究極の通販品を見つけた(実は以前からあったが)。それは「流しソーメン器」である。プラスチックのみみっちい器の電源を入れると、流れるプールのように素麺が泳ぎ始める。「素麺を掬い取り、暑さを忘れてはいかがでしょう!」というような惹句が商品に記されていた。「誰がこんな物を考え出したんだ!」と怒りつつ、「こんな品の開発に、いったいどこの誰が心血注いだのか」と思うと心がなごんでくる。
 一度だけ「流し素麺」を経験したことがある。十三歳だった。白樺がすっきりと立つ林の中に、その「素麺コース」はあった。しかし、その広々としたわびしい流し素麺に参加したのは、当時のわが家族六名のみ。「さあ、来る」と身構えたところで、素麺を奪い合うのはいつもの家族だけだった。そして、故郷の北海道は、流し素麺に血道をあげるほど暑くはなかった。
 あれはいったい何だったのだろう。あんなに広く贅沢な「素麺コース」で各自箸を持ったまま待ち構えていたことの愚かさ、楽しさ。もしかすると、あれこそが俳句の精神かもしれないと猛暑のさなかで考えている。

  百人の流し索麺はじまりぬ 未知子
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