短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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大辻隆弘

 
オーガ

 小学3年生になる長男が、クワガタムシをもらってきた。籠に入れて飼うことにした。
 私の住んでいるところは、伊勢平野の農村地帯である。幼いころ、私たちは、クワガタムシのことを「オーガ」と呼んでいた。「大鍬形虫」→「大鍬」(おおくわ)→「オーガ」と音韻変化していったらしい。どこか、外国語っぽい響きがあって、その名を聞くと、胸が躍った。
 村のはずれに小さな雑木林があった。夏の夕方になると、私たちは、藪をかきわけてその林の橡の木の下にいく。橡の木を思いっきり蹴ると、カサッ、という乾いた音がして虫が落ちる。音がしたところを見定めて、藪を探ると、カナブンや紙きり虫などに混じって、運がよければ、カブト虫やオーガがいた。
 オーガ採りの名人は、虫があつまる秘密の木を知っている。そして、実にうまく木を蹴る。ただ強く蹴るだけではだめなのだ。蹴りこむ角度とか、幹のどの位置を蹴るか、足の裏のどこを木に当てるか、などの微妙な技術的差違によって、多く虫を落とす子どもと、そうでない子が決まる。何につけても不器用な私は、無論、後者だった。
 息子のクワガタムシを見ていると不意にそんなことを思い出した。私が子どもの時には、スイカの皮などを虫籠に入れたものだ。今は、蒟蒻ゼリーみたいな色をした虫用ゼリーを入れる。先日、冷蔵庫に冷やされていたそのゼリーを本当のゼリーだと思って、口に入れた。何ともおかしな味がした。
 籠の中にゼリーを入れてやると、クワガタは2本の角をゼリーの中に突っ込んで、無心にそれを吸う。黄色い雑巾のような舌を二つに割って、ゼリーのなかに突っこむ。彼は身動きもせず汁を吸いつづける。その無心の姿を見ていると、なぜか幸福な気持ちになるのだった。
 ファブリーズの容器に水を入れて、クワガタ専用の霧吹きにした。霧を、シュ、と吹きかけてやったが、彼はまだ、全力でゼリーに頭を突っこんでいる。
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