短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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矢島玖美子

 
大丈夫

 早朝、テレビから「カンジロウさんは」という声が聞こえてきた。画面には奇妙な彫像が映っていた。「まことちゃん」の「グワシ」みたいな手のまんなかに顔がついている。なんだこれは。
 声の主は美術館の学芸員、カンジロウさんとは陶芸家の河井寛次郎のことだった。初めて聞く名前ではない。

  大丈夫だからと河井寛次郎   峯 裕見子

 川柳誌のバックストローク(http://ww3.tiki.ne.jp/~akuru/back-hp/index-2.htm)第6号でこの句を見たばかりだった。そのときは河井寛次郎が何者か知らなかったが、この句が妙に気になった。テレビを見た数日後、その番組で紹介していた展覧会を見にでかけた。作ることが楽しくてしかたない。どの作品もそんな風情だ。
 河井寛次郎はたくさんの言葉を残している。

「あなたは私のしたい事をしてくれた、あなたはあなたでありながら、それでそのまま私であった/あなたのこさえたものを、私がしたと言ったならあなたは怒るかも知れぬ。でも私のしたい事をあなたではたされたのだから仕方がない」(図録より)

 芸術家は「他と違う私」でありたいのだと思っていた。だが、河井寛次郎はそれを作ったのがあなたであろうと私であろうといいのだと言う。そういえば、指揮者の大植英次がインタビューで「最終的には観客の目から指揮者の姿が消えてしまうのが理想」だと話していた。すぐれた美術や音楽の前では「私」など小さなものだということだ。いや、人はみな大きなものの一部にすぎないということなのかもしれない。
 内と外を隔てる壁を外せば空間は無限に広がる。
 無限の「私」は無敵である。
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