荷物の少ない女
荷物の少ない女にあこがれる。字面からして機敏そうというか、ぐだぐだしてなさそうというか、凛としたイメージのある言葉である。生来の気質なのか出歩くとなるとやけに荷がかさばる。以前喫茶店で、友人が「スコッチテープがあればねえ」というので鞄からぱっと取り出して手渡したことがあった。驚くというよりはあきれられた。鋏もあるよ、などといったものだが、今ならそのあきれる気持ちがよくわかる。ひところの私の鞄の中にはありとあらゆるものが入っていた。小学生でいえばお道具箱を持ち歩いているようなものだった。 旅装はどうか。荷物の多い旅、というと映画『タイタニック』の冒頭シーンを思い出す。ザックひとつの二等船室の客に対して、貴族は船員に車満載の荷を運べ、と指示して自分はさっさと船に乗り込む。その車自体が大荷物である。荷が多いというより日常すべてを持ち運んでいるといった有り様だった。しかしひとのことは笑えない。前回本がないという話を書いたが、実際は持ち過ぎることのほうが圧倒的に多い。読み切れない本、聞き切れないMD、書かないレターセット、着ない服などで鞄はすぐに膨らむ。荷物が多いひとに共通するのは「なぜ荷物が多くなるのかわからない」ことだろう。本人にとってはすべてが「必要なもの」なのだ。必要、のハードルが低すぎるのである。実際なくて困ったことのないようなものを持ち歩くのは、日常への執着なのか、家ではない場所への恐怖なのか。二の腕に力をつけ汗をかきながら駅や空港を走る、そのことさえなければ旅の楽しみは二割増すかもしれないと、半ば本気で思う。 そんなわけで、軽装化を目下実施中である。日頃の鞄の中身も旅支度もだいぶ身軽になってきた。これで人生上のフットワークやなんかも軽くなってくれたらいうことはない。友人各位へ通達ですが、いまスコッチテープがない、と突然どこかで言われても、持っていませんのであしからず。もちろんステープラーもありません。 |