短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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大辻隆弘

 
夏の終り

 8月25日は私の誕生日である。今年、私は44歳になった。
 子どもの頃から自分の誕生日が苦手だった。なにか、いつもうらさびしいのである。
 盆が過ぎ、高校野球のテレビが終わり、会式(えしき)と呼ばれる地蔵盆の踊りが終ると、夏休みはもう10日も残っていない。私が住んでいるところは早稲の産地で、そのころになるともう稲刈りがはじまる。陽射しはまだ真夏だが、吹いてくる風は、軽く、乾いてくる。その乾いた風に乗って、刈り取られたばかりの藁の匂いが家の中まで流れ込む。
 私の誕生日は、いつも、そんなときにやってきた。夏休み中だから、友だちには祝ってもらえない。誕生日はいつもひとりだった。
 あれは小学3年のときだっただろうか。誕生日の夕食に、鯛の甘酢がけのような料理が出た。鯛の横腹にハムを細く刻んだ短冊が並んでいる。そのハムの短冊で「オメデトウ」というカタカナが作ってあった。私はそれを見て、なぜか急に悲しくなって泣いてしまった。
 親たちが自分を喜ばせようとしていることは分った。が、私にはそれが悲しく、腹立たしかったのだ。その時、父が溜息まじりにつぶやいた「ムツカシイ子や」という言葉が心に残っている。あのころの父は、今の私より少し若かったはずだ。
 刈りとりの時期を迎えた田圃は、黄金色に輝いている。その稲穂の波の上に、ちぎれた雲がひとつひとつ影を落としてゆく。私はその雲を見ながら、伊東静雄の「夏の終り」という詩を思い出していた。雲の影は「…さよなら…さようなら… 」と頷くように通り過ぎる……。昭和21年の晩夏、伊東静雄はそう歌った。
 人生というものを四季にたとえるなら、今、私はどのあたりにいるのだろう。春が過ぎ、熱い夏も終ろうとしている。ひょっとしたら、今、ちょうど私は、夏の終りか、秋のはじめあたりにいるのかもしれない。
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