短歌ヴァーサス 風媒社
カレンダー 執筆者 リンク 各号の紹介 歌集案内

★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
← 2004.8.23
2004.8.24
 
2004.8.25 →


松井 茂

 
おもいつきの詩学(四)

 詩人の松井茂です。詩人だから詩を書いています。あるいは、詩を書いているから詩人です。
 さて、前回『枕草子』を引用しました。清少納言が、自分に関わる世界(風景や通常の現象のなか)から、「暑げなる」性質のものを見出してきたテキストです。このテキストの魅力は、本来、異質なレベルのものに同質なレベルを見出している点にあるでしょう。時空に対する尺度(価値観)を変えて、世界をはかり直しているところが面白い。私は、この思考に批評の原型として詩を感じます。そして、こういう行為こそを、「詩的だ!」と言いたいと思います。私も、詩のテキストを制作する前段階、つまり形式を選択する前にこの種の思考をしているつもりなのですが……、思考だけで実際の作品に繋がらないことが多いわけで……。
 ところで、今年の七月、山崎清介演出、子供のためのシェイクスピアカンパニーによる『ハムレット』の公演を観ました。『ハムレット』は、これまでに何度も観たことがありますが、この公演ではじめて意識したことがあります。それは、ハムレットとレイアーティーズとフォーティンブラスの関係で、彼等が皆、父親を殺された「遺児」だという同質の境遇であることです。この演出では、「遺児」という性格をクローズアップすることで、『ハムレット』の物語世界に、いわば三人の境遇を韻的として刻印して処理していたのだと思います(なんと、フォーティンブラスの父が、ハムレットの父によって殺される場面が挿入されるのです)。もちろん音数律とは異なりますが、同質性によって物語に韻を見出すという思考が、とても「詩的」に感じられた舞台でした。
 いっぽう、ダニエル・バレンボイムとエドワード・サイードによる『音楽と社会』(みすず書房・二〇〇四年)という対話集の邦訳が刊行されたのですが、本書の原題は、"Parallels and Paradoxes"というもので、帯には『相似と相反』と訳出されています。筆者については説明するまでもありませんが、前者はユダヤ人の音楽家、後者はパレスチナ人の文芸評論家です。本書では、原題通り、彼等が負う文化と芸術の『相似と相反』を歴史と地域を横断してとりあげています。同質と異質の遠近感のなかで、現代にいかなる普遍性がありえるのかということが語られているわけです。「無知や逃避は、現在のために適切な指針ではありえない」というサイードの言葉は、「詩的」行為の先端であったと同時に、詩の先端にも向けられている言葉でしょう。世界をはかり、思考し続ける「詩的」行為の継続こそが、まず必要なことなのです。
← 2004.8.23
2004.8.24
 
2004.8.25 →