短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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増田 静

 
屋上にて(4)

 誕生日がきて32歳になった。こちらとしてはそんなつもりは全然ないのに、32歳という年齢を、周囲はやけにデリケートに扱う(おめでとう、でも歳についてはふれないでおくよ、と言う友人や、電話口で「いくつになったの」ときく父のうしろから「聞かないの!」と叫ぶ母)。かえって自分が哀れになり、暴露(?)して歩いている。
 たしかに30歳をむかえたときは、自分が30歳になることに実感が持てなかったし、親切な知人が「30歳になると傷の治りが遅くなる」とか「打身ができたら消えない」とか「人の名前を思い出せなくなる」と教えてくれていたため、恐れおののきはした。そして30歳になったとたんに骨折もして、その驚異を身をもって体験してもいる。ただ、変化というものは、そうそう区切りよくあらわれるものではないようだ。
 なにやら人生には段階がある、ということが、この年齢でようやくわかってきた。はっとしたときには既に変化のただ中で、抵抗しても逃れられない。それは「必然」なので、流されるより仕方がない。わたしの場合、ちょうど世田谷に暮らし始めたことと、あたらしい段階への移行とが重なる気がする。
 いま、去年と同じところがひとつもない。去年のわたしは3年後を予想することができた。なんらかの予感もあった。目標をたてることもできた。でも今は明日のことがわからない。1ヶ月後のことを考えようとしても、見知らぬ外国について空想するようだ。なんの誇張でもないので、自分で驚く。32歳にもなってこんなに不安でいいのかなあ、とぼんやりしてしまう。何かとつまずくことも多く、モラトリアムとは何度もめぐってくるのか。
 長く海のそばで生活していたので、誕生日といったら海へ出掛けるのが常だった。ここ10年ではじめて海を見ない誕生日だった。世田谷のケーキと、世田谷のクッキーを食べた。でも苦手だった生クレームは、苦手なままだ。
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