短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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櫂未知子

 
葛切ものがたり

 葛切を頂いた。東吉野村在住の藤本安騎生さんから。何といっても吉野、もちろん本葛である。大げさに響くかもしれないが天にものぼる心地だった。というのは、私は葛切のあの食感に滅法弱い。抵抗しそうでいていつまでも抵抗はせず、かといって最初からしなだれてくるわけでもない噛み心地は、なかなか得がたいものだ。
 よく考えると、素材は違うにせよ、似たようなものを自分が愛していることに気付く。コンニャクそのものは味がからみにくいのでそれほど好まないが(味噌おでんは好き)、豚汁に糸蒟蒻を入れるのは至上の喜び。野菜より何より、私は糸蒟蒻を大量に投入する。
 そしてさらに、糸蒟蒻をもっと細かくしたような白滝もこよなく愛している。ずいぶん前の冬の夜、セブンイレブンに立ち寄った時、レジスターのそばのおでんに目が行った。白滝が気持よさそうに浮かんでいた。迷わず、「その白滝、全部下さい」と言った。たしか五つあった。店員は喜ぶどころか、むしろ迷惑そうにした。そりゃそうだろう、幾種類もあるおでん種のうち、卵一個と白滝五つを買って帰る客がいたら、バランスが崩れてしまうのだから。しかし私は幸福そのものだった。
 そんな話を、当時知り合ったばかりのおじさん新人俳人にしたら、「俺と好みが同じだ」と喜ばれた。で、少ししてからなぜかしゃぶしゃぶを一緒に食べることになった。しゃぶしゃぶといえば葛切だが、店で出す葛切の量は極端に少ない。その時、葛切を巡る争奪戦が繰り広げられたことをよく覚えている。
 冒頭の葛切は、季語としては夏になる。しかし、冬の鍋物の具にもなる。葛切も白滝も愛したおじさんは、ある日突然死んだ。遺言も残さなかった。歌舞伎役者のような端正な面差しだけが今脳裏によみがえる。「なあ、みっちゃん。いつでもベストを尽くさなきゃ。今が全てだよ」。それだけを覚えている。

  葛切の日暮の味を思ひをり  未知子
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