短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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佐藤りえ

 
空室アリ

 移転からすでにひと月以上が経過したというのに、いまだに不動産屋のまえで間取り図を眺めてしまったり、道すがら「入居者募集中」の張り紙に振り向いてしまったりする。移動するしないはともかくとして「空室」が好きだ。誰も住んでいない部屋が好きだ。何も置かれていないフローリングの床を見るのが好きだ。カーテンのない窓から庭の植え込みがどんなふうに見えるのかがとても気になる。散歩の途中など、通りすがりに空室を見つけると、不審人物にならない程度に中を覗き込んでしまう。何が楽しいといって、イメージするのが楽しいのだ。この部屋にどんな人が住むのか、どういう暮らしになるのだろうかと妄想している段階が楽しい。実際ひとが住み始めて、暮らしの形らしいものが表れて来ると、興味がぐっと薄らいでしまう。勿論そうなってからではじろじろ眺めるわけにもいかないのですが。
 それにしてもいろいろな名前の家があるなと思う。家というか集合住宅、アパートやマンションですね。かつては「◯◯コーポ」とか「◯◯ハイツ」なんてものばかりだったような気がするが、今ではルビを振ってもらわないと読めないような名前が街じゅうにあふれかえっている。「ホワイエ(出入り口の広間の意・仏語)」「アヴァンティ(前進の意・伊語)」なんていう変化球じみたところから、9番地に建っているから「九番館」なんてのもある。地味な建物にとっぴょうしもない名前がついている傾向があるような気がする。気のせいか。「ハミングバード」とか「CALM FLAT」とか、貸し与えたり売ったりするとはいえ、ひとが暮らすところゆえ、それなりの願いみたいなものがこめられているっぽい名前もある。
 昔住んだアパートの名前は「ハッピーエンドレス」といった。木造モルタル二階建ての一階がクリーニング屋さんだった。手紙に書いたり人に教えたりするのが正直恥ずかしかった。それに「ハッピーがエンドレス」ならいいけれど、「ハッピーエンドがレス」だったら嫌だな、とかいらぬことまで考えた。もしまだあの部屋が残っていたら、表札に中グロを打ちに行きたいものである。
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