短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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佐藤りえ

 
テリトリー(前)

 相方言うところの「肝心」な、引っ越して最初の二ヵ月が過ぎた。なにが肝心なのかというと、その期間で新しい部屋を住みよく整えて、環境に柔軟に対応することができるかどうかで、今後快適に暮らしていけるかどうかが決まるとか、そういうことらしい。おおかたの荷物は解かれ所定の場所に収められ、足りないものは買い、いらないものは捨てた。ベランダ用のつっかけも二つそろい、布団干し用のプラスチック製カニばさみのようなものも購入した。ディテールは整いつつある。快適だと思う。
 そうして暮らしていくなかで、しかし私は、こここそが自分のもっとも住み良い場所、帰るべきところと思った事がない。いちばん長く住んだ生まれ育った土地(と、いっても移転を繰り返したためひとところではないのですが)ですら、少しの感慨や郷愁の念はいだくものの、いつかはあそこに帰って…といった思いは皆無に近い。
 それはまだ若いからだよ、と諭すような眼差しを向けられることがある。どんどん知らないところに行ってみたいんでしょう? そういう気持ちもないとはいえないが、「動きたい」という気持ちと「帰りたい」という気持ちは、同居して然るべきものだと漠然と思う。宴席で、ながらく帰らない郷里の話で盛り上がるとき、ひとが見せるふとした表情にひかれつつ、なぜか後ろめたいような思いがして気後れする。たとえば雪深かったり、交通がかなり不便であっても、そこが帰る場所だからさ、というような、きっぱりとした横顔はまぶしく見える。
 居を定めるということがそんな安心安穏なことばかりではないことも知っている。それでも誰もが持ち得るはずのものがすっぽり抜け落ちているような不全感を打ち消すことができない。帰るべき場所を明確に抱えている人が完全な円であるとしたら、自分はフリーハンドで描いたいびつな円のようなものかななんて思う。中心がないすこしだけ歪んだかたちの円である。円の中心は臍のようでもある。臍のない円を思い描く。
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