短歌ヴァーサス 風媒社
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★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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島なおみ

 
Retour 家路

 先週のはじめ、家出をした愛猫・どらえもんが帰ってきました。
 ゆくえを心配してくださった方、帰還をともに喜んでくださった方、どうもありがとうございます。また、迷い猫の新聞広告を見て、「子猫がたくさんうまれちゃったんだけどぉ、一匹もらってくれなーい?」と電話をくれた見ず知らずの方、「近所に最近猫が増えたんだけど、お宅の猫じゃないの」と苦情をくださった方も、うちの猫にかかわりをもってくださり、ありがとうございました。
 旅の途中、飼い主に対する不満や鬱憤を晴らしてきたことと思います。すっかり穏やかな性格になりました。「やっぱりわが家が一番だニャー!」と室内猫としての人生に満足したようにも見えます。

 猫の失踪で取り乱しすっかり忘れていましたが、昔読んだ内田百けん(けんの字が出ませんね)の随筆「ノラや」か、昔見た黒澤明監督の映画「まあだだよ」に、猫がいなくなったときのおまじないのシーンがあったのでした。

  立ちわかれ因幡の山の峰におふるまつとしきかば今かへりこむ
                               在原行平 (古今集)

 この歌を一首書いて、玄関のところに貼っておけば、猫が帰ってくるのだと記憶しています。
 この歌は、百人一首にも入っているので、誰もが一度は聞いたことがあるかと思うのですが、作者は在原業平のお兄さん。「因幡」を「去なば」に、「松」を「待つ」という意味に掛ける<掛詞>が使われています。「…因幡の松、ってわけじゃないけれども、私が待つということを聞けば、」という意味ですね。



 あのー、…おやじギャグでしょうか?

 そのうえ「うまいこと言ってやった」とニヤリ回りを見渡すやらしさもなきにしもあらず。

 「枯れ」が「離れ」、「長雨」が「ながめ」、ほかにもいろいろ有名な掛詞はありますが、これらを現代語に意訳するとき、「…というわけじゃないけれども〜」という、どこか納まりの悪い言葉を古文の授業で習って以来、どうも<掛詞=解説付きのおやじの駄洒落>という認識が植え付けられたようなのです。
 偏見といえば偏見なんだけどね。この困ってしまうような滑稽さは、なんだろう。
 公家顔の王朝歌人たちは、薄い眉毛に薄化粧して、烏帽子なんかかぶって、雅な物腰でこんなおやじギャグを言い合っていたんだろうか。あ、想像してたら、ぞくっときた。
 現代短歌では身を潜めている掛詞ですが、歌謡曲の歌詞では今も健在らしく、「澪標(身を尽くし)」などたまに出会うとかっくんと力が抜けます。韓流ブームにのっかってSeoul を soulとか、ラップでは常套らしいけど、You gotta を夕方とか、これらはまあいいとして、先日は、うかつなことに、Amoreを天降(あもう)れ、と掛けているのを見かけてしまい、少しだけ生きるのがつらくなりました。猫は元気です。

 +25 Easy Etudes, N゜23

 掛詞をつかっておやじギャグにならない短歌をつくってください(懇願)
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