短歌ヴァーサス 風媒社
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★短歌ヴァーサスは、11号で休刊になりました★
2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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荻原裕幸

 
留守電

一メートル宙を見つめて名乗らずに吹きこまれたる留守電を聞く
(佐藤りえ)

 大切なのは、誰がその電話をかけてきたかではないのか、吹きこまれた留守番電話の内容ではないのか、そういう有機的な、世界との関係性ではないのか、という声が、この歌を読むぼくのなかでひびく。一方には、そんな有機的な関係性が本当に存在するのか、そこにあるのは、一メートルの宙を見つめていること、名乗らないまま誰かが伝言を録音したこと、留守電を聞くということ、ただそれだけのばらばらなことの集まりではないのか、という声もひびいている。
 はっきりしているのは、この作品が、世界との関係性をむすぼうとする「自己」にとって有効ではないことで、逆に言えば、そのような「自己」の関係性はこの「事象」にとってノイズでしかなく、「事象」の純粋さを奪おうとするものであるということだ。この作品に惹かれるかどうかは、読者の側のギアがどこにかかっているかの問題でしかない。この作品が強く示そうとしているのは、むしろ、ギアがきりかわるという世界のしくみそのものなのだろう。

 この夜がこの世の中にあることをわたしに知らせるケトルが鳴るよ
 ミュージックアワーが終わる夏の午後岬の突端には雲がない
 地下道のどこから来たかわからない風に吹かれている十二月
 人気なき午後の廊下を春の陽が少し斜めに過ぎてゆくこと
 話す時わずかにフラットする声のその半音が何か知りたい
 よい旅を、誰もが言ったそれぞれの羽根を重たく鞄に詰めて

 引用は第一歌集『フラジャイル』(風媒社)から。十代二十代でしか書けないような抒情のひかりと、そこから逸れて世界のしくみに対峙しようとする決意のひかりとが、混ざろうとして混ざれないまま、時折とても切なそうな表情を照らし出しているのが好きだ。
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