鎌倉
鎌倉で猫と誰かと暮らしたい誰かでいいしあなたでもいい (佐藤真由美)
そんな言い方をされて誰が一緒になんて暮らすものかと真に受けるべきなのか、それとも、そんなことを言いながら本当はおれ/かれのことが好きなんだろうと裏を読むべきなのか。いずれにせよ、ふりまわされる男性像が浮かんで、気の毒になあという気分になる。仮想にせよ、いささか扱いにくい(と言うか、反抗期風の)女性との恋愛をかなりリアルにイメージさせてくれる点で、佐藤真由美の世界は面白いし、この人の表現の真骨頂もそこにあるのだろうと思っていた。 思っていた、と過去形なのは、そういう男性側の視点だけで読むのは何か変じゃないかという単純な誤解に気づいたからだ。歌の一人称の視点から考えると、あなた、にダイレクトにそれを告げてしまうのはどうかとも思うけれど、恋愛なんて初期的にはそんなものだと思う。とりあえずは誰でもいいのだ。あなた、という不特定多数のなかの一人が、とりかえのきかないただ一人の存在になるまでの間は。鎌倉というとりかえ不能な固有名の存在が、静かにそのことを告げている。
東口バスターミナルでキスをして別れるために出会ったふたり 借りた傘返しに行くと雨が降るような感じで二年続いた 大金が動かないのであたたかい人が多いという杉並区 住民票動かさないでいるくせに二度と行かない南阿佐ヶ谷
引用はいずれも第一歌集『プライベート』(マーブルトロン/集英社文庫)から。固有名をはじめとしたとりかえ不能な事象の入っている歌とそうでない歌を比較しながら読むと、物語的な展開とは違う、つくりものとしては書けない、恋愛の本当の進度が見えるようで興味深い。
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