短歌ヴァーサス 風媒社
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2004.8.2〜2006.6.30の期間(一時期、休載期間あり)、執筆されたバックナンバーをご紹介します

 
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島なおみ

 
L'adieu 別れ

 旅は疲れます。
 昨年の6月、斎藤茂吉ゆかりの山形へ自動車で出かける機会がありました。新潟県村上市の手前で関川方面へ折れ小国街道を東へゆきました。歌集「白き山」の舞台装置、蔵王、月山、最上川をこの目で確かめよう、その地の水を飲んでみようという崇高な動機が当初はあったのですが、「米沢牛」の看板に気を取られ、漬け物寿司に舌鼓をうち、まあ、俗っぽい旅ではありました。
 大石田の資料館には茂吉が住んでいた日本家屋が隣接していて、中へ入ることもできます。「白き山」の現場に立った私にどのような感慨があったかといえば、犯すべからぬ尊き歌人「斎藤茂吉様」が、それ相応の体臭を持った歌人の茂吉じいさんに変わったのです。もしかしたらこれは小さなお別れだったのかも。アデュー、あこがれの土地・大石田。
 しかし東北は広かった。道のりは想像はるかに遠く運転手は私ひとり。なかなか精神力と集中力を試される旅でした。中世の歌人・能因法師が編んだ歌学書『能因歌枕』の中にも奥州の歌枕が多く収録されているそうで、それらをリアルで確かめようと旅立った物好きが元禄期にもいました。松尾芭蕉、46歳。お爺さんのイメージがありますけど、46歳。2400キロの旅でした。

 さて新しい歌枕の創出は、現代短歌や俳句の作家たちがさまざまに試みていますが、私がいいなあと思うのは、小中英之さんの作品に登場する土地の名です。「小海線」や「蛍田」の歌はよく知られますが、最愛の一首はこれ。

  少年の日よりほろほろ秋ありて葡萄峠を恋ひつつ越えず 
                  小中英之 「翼鏡」より

 葡萄という言葉が運んでくるイメージと、それが越えずにいる峠であるということ。この峠がどこにあるのか調べてみると、村上市から山形へ入る国道7号の途上に同じ名の峠がありました。なんというニアミス。運命のいたずら。
 一年前のあの日、私たちハンドルを右に切らずに山形入りしていれば、葡萄峠を越えることができたんじゃないか。
 葡萄峠とはそのような場所なのでしょう。そんな峠の手前で立ち尽くし、ほろほろと季節を数えているのは、私の背中です。


 +25 Easy Etudes, N゚12

 美しいと思う土地の名を3つ選び、それらを詠み込んだ短歌をつくりなさい。

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